三国志袁術 仲の皇帝を名のるも、蜂蜜も得られずに最期を迎える 袁術えんじゅつ》は後漢の末期に群雄のひとりとして活動し、やがて皇帝を僭称した人物です。 一時は孫堅や孫策を従えて強勢を誇りましたが、信義に欠け、人望が乏しかったので孤立していきました。 仲《ちゅう》という国を建国したものの、諸侯から承認...2018.10.102019.06.09三国志中国史その他の勢力
三国志劉表 孫堅を破り劉備を客分とした、荊州の支配者の生涯 劉表《りゅうひょう》は後漢の統治力が衰えた時代に荊州《けいしゅう》の刺史《しし》(長官)となり、支配権を確立した人物です。 そして孫堅の侵攻を受けるものの、孫堅を討ち取って撃退に成功するなど、守勢に強いところを見せています。 また、曹操...2018.10.042019.06.09三国志その他の勢力
三国志董卓 後漢の実権を掌握するも、呂布に殺害された暴君の生涯 董卓は後漢の末期において、辺境の兵を率いて洛陽《らくよう》に乗り込み、実権を掌握した人物です。 その後、彼が3年に渡って暴政を行ったことで、後漢王朝の権威は地に墜ち、やがて魏に取ってかわられることになります。 その結果、董卓は暴君の代表...2018.09.302019.06.09三国志中国史その他の勢力
三国志曹操はどうして官渡の戦いで袁紹に勝利できたのか? 三国志の時代、西暦200年に曹操と袁紹は官渡(かんと)の地で決戦を行い、曹操が勝利を収めました。 この時の兵力は曹操が4万で、袁紹が10万であり、圧倒的に袁紹が有利な情勢でした。 しかし袁紹の陣営は人材が多いもののまとまりを欠いており、...2017.05.222021.06.03三国志魏中国史その他の勢力