史記列伝

中国史

二人の孫子 – 孫武と孫臏 兵法書を書いたのは?

『孫子の兵法書』で知られる孫子は、古代中国の兵法家でした。 「子」とは「先生」を意味する言葉ですので、孫子は孫先生という意味になります。 史上、孫子と呼ばれた人物は二人いましたが、この文章では、彼らの逸話や事跡について書いてみようと思い...
春秋

管仲と鮑叔 才能がある人と、それを認めて支援した人の話

紀元前7世紀ごろ、斉《せい》という国に、才能はあるものの失敗も多かった、管仲《かんちゅう》という男がいました。 【管仲の肖像画】 彼は若い頃からずっと、鮑叔《ほうしゅく》という男と親しく付き合っていました。 この鮑叔は、管仲に傑出...
楚漢戦争

張良 王佐の才をふるい、劉邦を皇帝にした名軍師の生涯について

張良は劉邦に仕え、漢帝国の建国に貢献した人物です。 いわゆる軍師の役割を果たし、常に的確な戦略を立てて劉邦に助言を与え、その勢力の拡大に尽くしました。 元々は秦に滅ぼされた韓という国の遺臣で、このために秦の打倒を念願とし、始皇帝の暗殺を...
中国史

伯夷と叔斉 義をつらぬいて窮死し、孔子に顕彰された兄弟について

伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)は、歴史家の司馬遷が「史記列伝」の一番初めに取り上げた兄弟です。 古代の中国にあった孤竹国(こちくこく)の王子で、伯夷が長男、叔斉は三男でした。 孤竹国は黄河の北岸に存在した小国で、その国民は農業や牧畜...
楚漢戦争

項羽はどうして四面楚歌となって劉邦に敗れたのか?

項羽は紀元前200年ごろの古代中国で、短い期間ですが覇者となった武将です。 秦を攻め滅ぼす戦いで活躍し、「西楚の覇王(せいそのはおう)」と名のって大陸に君臨しました。 しかしその統治は安定せず、間もなく各地で反乱が頻発するようになります...
楚漢戦争

韓信 劉邦に天下を取らせた国士無双の大将軍

韓信かんしんは劉邦りゅうほうに仕えて大将軍となり、楚漢戦争の勝敗を決定する重要な役割を担った武将です。 卓越した作戦能力を持ち、戦えば常に勝利をおさめ、『国士無双(比べられる者がいないほど優れた者)』と呼ばれるにふさわしい人物でした。 ...