中国史二人の孫子 – 孫武と孫臏 兵法書を書いたのは? 『孫子の兵法書』で知られる孫子は、古代中国の兵法家でした。 「子」とは「先生」を意味する言葉ですので、孫子は孫先生という意味になります。 史上、孫子と呼ばれた人物は二人いましたが、この文章では、彼らの逸話や事跡について書いてみようと思い...2018.10.19中国史史記列伝
春秋管仲と鮑叔 才能がある人と、それを認めて支援した人の話 紀元前7世紀ごろ、斉《せい》という国に、才能はあるものの失敗も多かった、管仲《かんちゅう》という男がいました。 【管仲の肖像画】 彼は若い頃からずっと、鮑叔《ほうしゅく》という男と親しく付き合っていました。 この鮑叔は、管仲に傑出...2017.12.262018.04.18春秋斉中国史史記列伝
楚漢戦争張良 王佐の才をふるい、劉邦を皇帝にした名軍師の生涯について 張良は劉邦に仕え、漢帝国の建国に貢献した人物です。 いわゆる軍師の役割を果たし、常に的確な戦略を立てて劉邦に助言を与え、その勢力の拡大に尽くしました。 元々は秦に滅ぼされた韓という国の遺臣で、このために秦の打倒を念願とし、始皇帝の暗殺を...2017.03.152021.05.19楚漢戦争漢中国史史記列伝
中国史伯夷と叔斉 義をつらぬいて窮死し、孔子に顕彰された兄弟について 伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)は、歴史家の司馬遷が「史記列伝」の一番初めに取り上げた兄弟です。 古代の中国にあった孤竹国(こちくこく)の王子で、伯夷が長男、叔斉は三男でした。 孤竹国は黄河の北岸に存在した小国で、その国民は農業や牧畜...2017.02.032018.04.18中国史史記列伝
楚漢戦争項羽はどうして四面楚歌となって劉邦に敗れたのか? 項羽は紀元前200年ごろの古代中国で、短い期間ですが覇者となった武将です。 秦を攻め滅ぼす戦いで活躍し、「西楚の覇王(せいそのはおう)」と名のって大陸に君臨しました。 しかしその統治は安定せず、間もなく各地で反乱が頻発するようになります...2017.01.162021.05.19楚漢戦争楚中国史史記列伝
楚漢戦争韓信 劉邦に天下を取らせた国士無双の大将軍 韓信かんしんは劉邦りゅうほうに仕えて大将軍となり、楚漢戦争の勝敗を決定する重要な役割を担った武将です。 卓越した作戦能力を持ち、戦えば常に勝利をおさめ、『国士無双(比べられる者がいないほど優れた者)』と呼ばれるにふさわしい人物でした。 ...2016.08.072021.07.05楚漢戦争漢中国史史記列伝