幕末

明治

渋沢栄一の生涯 短縮版

渋沢しぶさわ栄一えいいちは、幕末は徳川慶喜よしのぶの家臣として、明治初期は大蔵省の官僚として、明治6年以降は実業家として活躍した人物です。 この文章は、大河ドラマ『青天を衝け』の主人公である渋沢栄一の生涯を、短めにまとめて書いたものです。...
史跡めぐり

勝海舟の墓と西郷隆盛の留魂詩碑 洗足池の史跡

勝海舟の墓は、東京都大田区、南千束せんぞくの憩いの場である、洗足池せんぞくいけのほとりにあります。 【広々とした水面をたたえる洗足池 周囲は静かな住宅街で、落ち着いた風情がある】 洗足池と勝海舟の関わり 海舟は1868年に、鳥羽・伏見の...

西郷隆盛と月照はどうして薩摩沖に入水したのか?

西郷隆盛は1858年に、月照《げっしょう》という僧と一緒に薩摩沖の海に飛び込み、自害を図りました。 これは両者がともに、京で政治活動を行っていたことに大元の原因があります。 西郷は薩摩藩の下級藩士の出身でしたが、高い志を抱いており、ペリ...
幕府

生麦事件と薩英戦争 幕府の凋落と薩摩藩の興隆について

生麦《なまむぎ》事件は1862年に起きた、薩摩藩士によるイギリス商人の殺傷事件です。 この事件は偶発的なものでしたが、これを契機として、国内情勢が大きく変動することになりました。 そして翌年に薩英戦争を勃発させる直接のきっかけにもなりま...
幕府

坂本龍馬と大政奉還 果たされなかった無血革命

坂本龍馬の事跡の一つとして「大政奉還(たいせいほうかん)の実現」が知られていますが、龍馬の政治的な活動においては、最も重要な案件だったと言えます。 大政奉還とは、徳川幕府が日本の統治権(大政)を朝廷に返上(奉還)することをいいます。 幕...
幕末

幕末年表

※日付は旧暦に準拠しています 年 月日 出来事 1840〜42年 清とイギリスの間でアヘン戦争が発生する 清が敗北し、アジア圏にも西洋諸国の脅威が迫っていることが、幕閣や諸侯・知識人たちに伝わる この影響で、佐久間象山や吉田...
幕末

久坂玄瑞 吉田松陰の後を継ぎ、尊王攘夷に奔走した志士の生涯

久坂玄瑞(くさか げんずい)は吉田松陰の弟子となり、幕末に尊王攘夷派を主導した人物です。 松陰の死後にその志と思想を引き継ぎ、長州藩の藩論を塗り替え、同志たちとともに主導権を握りました。 以後は京都で活動し、攘夷派の公卿たちと手を結んで...
福井藩

橋本左内 将来を嘱望されながらも、安政の大獄で散った志士の生涯

橋本左内は幕末に福井藩の医者の子として生まれ、適塾で蘭学(オランダ由来の西洋学問)を習得した人物です。 若年の頃より優れた知性を備えており、世界情勢に通じ、幕末において日本の取るべき道を示した思想家としても活動しています。 やがてその才...
水戸藩

藤田東湖 尊皇攘夷を唱え、水戸藩を改革した思想家の生涯について

藤田東湖は幕末において、西洋諸国の脅威をいち早く認識し、水戸藩の改革を行った思想家です。 先駆的に新しい情勢に対応するための活動を行っていたため、ペリーの来航後には、幕政にも参与するに至っています。 そして尊王攘夷を説く「回天詩史」など...
幕末

島津斉彬 集成館事業を行い、西郷隆盛を育てた賢君の生涯について

島津斉彬(なりあきら)は幕末に薩摩藩主となり、近代化の事業を推し進めた人物です。 優れた先見の明を備えており、西洋諸国のアジアへの侵攻に対し、技術の発展と諸国の連携によってこれを制するべきだという思想を抱いていました。 弟子とも言える西...