明智

織田

比叡山の焼き討ちと、明智光秀の出世

織田信長は1571年に、天台宗の総本山である比叡山・延暦寺を焼き討ちし、多くの僧と、そして民衆を殺害しました。 これは延暦寺が、信長と敵対していた浅井・朝倉氏に味方したことが契機になっています。 信長は浅井・朝倉と手を切るように迫ったの...
戦国時代

明智光秀の妻 妻木煕子について

明智光秀の妻は、姓名を妻木煕子つまきひろこと言います。 生年は不明ですが、1530年ごろではないかと推測されています。 妻木氏は美濃みの(岐阜県)の土豪で、現在の土岐市妻木に山城を構えていました。 これは409メートルの山上に築かれた...
織田

明智秀満(光春) 光秀に忠誠を尽くし、後に天海になったと言われる武将の生涯

明智秀満《ひでみつ》は光秀の娘婿で、その重臣として活躍した武将です。 元は三宅《みやけ》弥平次《やへいじ》という名で、光秀の小姓《こしょう》として仕えていたと言われています。 三宅氏は美濃の豪族で、明智氏の親類でした。 秀満の生年は1...
織田

織田信長が本能寺の変で明智光秀に討たれたワケ

本能寺の変は、天下統一を目前にしていた織田信長が、重臣の明智光秀に討たれた事件です。 この事件の原因には様々な説が提唱されていますが、今もはっきりとしていません。 この文章では、晩年の信長の人格と、家臣への態度の変化こそが光秀の謀反を引...

森蘭丸 信長に寵愛を受け、本能寺の変で散った美少年の生涯

森蘭丸らんまるは織田信長に小姓こしょうとして仕え、寵愛を受けたことで知られる人物です。 容姿が美しかったと言われていますが、それだけでなく、蘭丸は才知に秀でており、細やかな気遣いができる性格でした。 そして信長に対する忠誠心が厚く、この...
織田

明智光秀はどうして本能寺の変で織田信長を討ったのか?

明智光秀は低い身分から織田信長に引き立てられ、多くの領地や軍の指揮権を与えられた武将です。 しかしやがて光秀は謀反を起こし、京都の本能寺で織田信長を討ちました。 そして天下人になることを目指しますが、その野心は世から受け入れられず、裏切...
織田

明智光秀と羽柴秀吉はどうして織田氏を衰退させたのか?

織田信長を本能寺で殺害し、織田氏の覇権を打ち砕いたのは明智光秀ですが、その後さらに織田氏の力をそいでいったのが羽柴秀吉でした。 明智光秀と羽柴秀吉、このふたりには意外と多くの共通点があるようです。 この文章ではそのあたりに触れ、どうして...