兵器鉄砲(火縄銃)の伝来と普及 種子島時尭の働きと年号などについて 日本に鉄砲が伝来したのは、1543年のことでした。 当時の日本は戦国時代のまっただなかで、強力な兵器は各地の大名たちが、喉から手が出るほどに欲しているものでした。 それゆえに、鉄砲はまたたくまに日本中に広まっていき、やがては数千挺がひと...2018.05.16兵器織田戦国時代
戦国時代太田資正 軍用犬を用い、北条氏と戦い続けた知将の生涯 太田資正《すけまさ》は戦国時代に武蔵(埼玉・東京あたり)で活動し、勢力を拡大する北条氏への抵抗を続けた武将です。 居城を失い、息子たちに裏切られながらもしぶとく戦い続け、最終的には北条氏の滅亡を見届けることになりました。 この文章では、...2018.04.012021.05.30戦国時代上杉北条
織田明智秀満(光春) 光秀に忠誠を尽くし、後に天海になったと言われる武将の生涯 明智秀満《ひでみつ》は光秀の娘婿で、その重臣として活躍した武将です。 元は三宅《みやけ》弥平次《やへいじ》という名で、光秀の小姓《こしょう》として仕えていたと言われています。 三宅氏は美濃の豪族で、明智氏の親類でした。 秀満の生年は1...2018.01.182018.04.18織田戦国時代明智
戦国時代北条氏政と氏直が、小田原征伐で豊臣秀吉に滅ぼされたワケ 北条氏は戦国時代に5代、90年を費やして関東地方の大半を制し、覇者たる地位を手に入れました。 しかし制覇が完了間近になったところで、豊臣秀吉の討伐を受け、4ヶ月の戦いの後、あえなく滅亡しています。 秀吉と北条氏政《うじまさ》・氏直《うじ...2018.01.152021.05.19戦国時代豊臣徳川真田北条
戦国時代長野業正 武田信玄に勝利し、真田幸隆と親交を持った武将の生涯 長野業正なりまさは戦国時代に上野こうずけ(群馬県)において、強勢を誇っていた武将です。 武田信玄の侵攻を防ぐ一方で、真田幸隆《ゆきたか》と親交を持っていた、と言われています。 その精強さから「上州の黄班《おうはん》(虎)」という異名を持...2018.01.122018.04.18戦国時代上杉
蒲生蒲生氏郷 秀吉が怖れた名将の生涯と逸話 蒲生《がもう》氏郷《うじさと》は若くして織田信長に才能を見いだされ、その娘婿となった武将です。 やがて期待に応えて優れた武将に成長し、数多くの戦場でめざましい功績を立てています。 そして蒲生氏は氏郷の元で4万石から91万石にまで、飛躍的...2018.01.112018.04.18蒲生織田戦国時代豊臣伊達
戦国時代北条氏規 軍事や外交に秀で、徳川家康と親しかった勇将の生涯 北条氏規うじのりは戦国時代の末期において、外交や軍事に活躍した武将です。 天下の過半を制した豊臣秀吉との外交を担当し、北条氏の存続のために臣従するべきだと主張しましたが、兄の氏政らが承服しなかったため、秀吉の討伐を招くことになりました。 ...2018.01.102018.04.18戦国時代北条
織田織田信長が本能寺の変で明智光秀に討たれたワケ 本能寺の変は、天下統一を目前にしていた織田信長が、重臣の明智光秀に討たれた事件です。 この事件の原因には様々な説が提唱されていますが、今もはっきりとしていません。 この文章では、晩年の信長の人格と、家臣への態度の変化こそが光秀の謀反を引...2018.01.072018.04.18織田明智戦国時代
織田中川清秀 賤ヶ岳で奮戦した、引くことを知らぬ猛将の生涯 中川清秀《きよひで》は戦国時代に活躍した猛将です。 元は一介の小領主に過ぎませんでしたが、羽柴秀吉と明智光秀の決戦となった「山崎の戦い」などで活躍し、12万石の大名にまで出世しています。 清秀は数多くの戦場で、引くことを知らぬ勇敢な戦い...2018.01.062018.04.18織田戦国時代豊臣
織田前田玄以 信長や秀吉に仕え、京都所司代を務めた名奉行の生涯 前田玄以げんいは織田信長や豊臣秀吉に仕え、京都の奉行として活躍した人物です。 戦乱の時代はとかく武勇に優れた人物が目立ちますが、為政者にとっては、すぐれた行政官もまた必要であることに変わりはありませんでした。 このために玄以は、信長や秀...2017.12.312018.04.18織田戦国時代前田豊臣