戦国時代

森蘭丸 信長に寵愛を受け、本能寺の変で散った美少年の生涯

森蘭丸らんまるは織田信長に小姓こしょうとして仕え、寵愛を受けたことで知られる人物です。 容姿が美しかったと言われていますが、それだけでなく、蘭丸は才知に秀でており、細やかな気遣いができる性格でした。 そして信長に対する忠誠心が厚く、この...
斎藤

稲葉一鉄(良通) 戦乱の世を頑固に生き抜いた一徹者の生涯

稲葉一鉄《いってつ》は戦国時代に斎藤道三や織田信長に仕え、戦場や外交で活躍した武将です。 「一鉄」は出家した際の号で、「頑固一徹」の語源になったと言われています。 そのように言われるだけのことはあり、硬骨な人物で、戦国時代の流れを変えた...
蒲生

岡左内(岡野定俊)、蓄財に励むも守銭奴にあらず

戦国時代には様々な個性をもった武将たちが存在していますが、岡左内さないもまた、際だった特徴を持った人物でした。 どのような個性があったのかというと、左内は武将としては珍しく、蓄財や利殖に励むなど、大変にお金を好んでいました。 それでいて...

堀秀政が「名人」と呼ばれたワケ

堀秀政《ひでまさ》は織田信長や豊臣秀吉に仕え、その才能を愛された武将です。 「名人」という異名で呼ばれたことでも知られているのですが、この文章では秀政の生涯や、異名の由来を紹介していきたいと思います。 美濃で生まれ、織田信長に取り立てられ...
織田

織田信長が第六天魔王を名のったワケ

織田信長は自ら「第六天魔王だいろくてんまおう」と名のったとされており、このために「魔王」と称されることがしばしばあります。 【魔王を名のったと言われる織田信長】 これは信長が1573年に、甲斐の大名・武田信玄から挑戦状を受け取り、そ...
戦国時代

前田利常 あえて鼻毛を伸ばし、加賀百万石を保たんとす

前田利常としつねは、加賀百万石を築いた前田利家の四男として誕生した人物です。 前田家は兄の利長《としなが》が継いでいたのですが、利長は正室とも側室との間にも、男子を得ることができませんでした。 このために利常が年の離れた兄の養子となり、...
戦国時代

加藤光泰、おおいに怒り清正の命を救う – 文禄の役の逸話より

「豊臣秀吉に仕えていた加藤」と言えば清正が有名ですが、もうひとり、加藤光泰みつやすという武将もいました。 光泰は豊臣政権下において、甲斐(かい)(山梨県)24万石の大名で、肥後(ひご)(熊本県)25万石の清正と、ほぼ同等の立場にありました...
織田

前田利長 過ちを責めず、長所を見て人を用いる

前田利長としながは、加賀百万石の領国を築いた利家の嫡男(ちゃくなん)で、父に劣らず武勇に優れた人物でした。 その才能を織田信長からも愛されており、信長の四女・永姫(えいひめ)を正室として迎えています。 主だったところでは、豊臣秀吉による...
戦国時代

真田昌幸、兵に酒を飲ませて北条の軍勢を討ち破る – 薩埵峠の戦いより

真田昌幸まさゆきは知略に優れた戦国大名として知られていますが、元々は武田信玄に仕えていた武将でした。 その時代にも鮮やかな策によって、北条氏の軍勢を討ち破る功績を立てたことがあります。 この文章ではその戦いの際の、昌幸の活躍ぶりを紹介し...
織田

墨俣一夜城 豊臣秀吉と蜂須賀小六の出世物語

豊臣秀吉はまだ木下秀吉と名のっていた頃に、墨俣(すのまた)の地に短期間で城を築き、大いに名を上げたことがありました。 当時、秀吉は織田信長に仕えており、美濃(みの)(岐阜県)の攻略戦に参加しています。 秀吉は初め、信長の身辺の雑用係をし...