織田徳川家康はどうして小牧・長久手の戦いで羽柴秀吉と互角に渡り合えたのか? 徳川家康は1584年、織田信雄とともに羽柴秀吉に戦いを挑みました。 この時の戦力は、徳川・織田連合軍が3万、羽柴軍が10万で、大きな差が開いていました。 にも関わらず、家康は小牧・長久手の戦いで勝利し、秀吉と正面から戦いながらも... 2017.09.21 2018.04.18織田戦国時代豊臣徳川
織田比叡山は三度焼かれる – 織田信長に至る、比叡山焼き討ち事件の経緯について 比叡山・延暦寺は織田信長に焼き討ちを受けたことで知られていますが、武家との抗争はこれが初めてではなく、三度も主要な建物が焼失する事件が発生しています。 比叡山焼き討ち事件は、場所が寺院であるだけに、刀や槍を持った武士たちが、無力な僧侶... 2017.09.11 2018.04.18織田足利戦国時代細川室町時代徳川
織田滝川一益 信長の軍団長として活躍した、知勇兼備の名将の生涯について 滝川一益(かずます)は織田信長に仕え、その重臣として活躍した人物です。 戦闘に強く、調略や外交もこなせる優れた武将で、主に伊勢(三重県)方面の攻略で活躍しました。 やがて大名になり、関東を統括する軍団長に任命されるほどに出世しま... 2017.08.16 2018.04.18織田戦国時代滝川豊臣徳川
戦国時代北条早雲(伊勢宗瑞)は、どうして最初の戦国大名になったのか? 北条早雲は伊豆や相模(神奈川県)に独立した勢力を築いた、史上初の戦国大名です。 元々は室町幕府に仕える役人でしたが、駿河の守護大名・今川氏の後継者争いに介入し、功績を立てて一城を与えられました。 以後は中央に戻ることなく、甥の今... 2017.08.08 2018.04.19戦国時代北条
織田羽柴秀吉はどうして清洲会議や賤ヶ岳の戦いで、柴田勝家に勝利できたのか? 織田信長が本能寺の変で急死した後、織田氏の内部では、羽柴秀吉と柴田勝家の抗争が発生しました。 秀吉は、信長を殺害した明智光秀を討った功績によって、それまで筆頭家老であった勝家よりも有利な立場を手に入れます。 そして信長の遺産の分... 2017.07.30 2018.04.18織田戦国時代豊臣
戦国時代直江兼続は奸臣か、それとも名宰相か? 直江兼続は上杉景勝に仕え、家老として上杉氏の活動を取り仕切った人物です。 領内の反乱を鎮圧し、開墾や特産品の交易によって領地を発展させるなど、多方面に渡って活躍しました。 また、徳川家康に「直江状」と呼ばれる挑戦状を送り、関ヶ原... 2017.07.20 2018.04.18戦国時代上杉
織田松永久秀は本当に極悪人だったのか? 松永久秀は低い身分の出身でありながらも、大和(奈良県)一国を支配する大名になり、高い官位を得て、将軍の側近にまで成り上がった武将です。 しかしその生涯において、主君の三好長慶の一族を暗殺し、将軍・足利義輝を殺害し、東大寺の大仏殿を焼き... 2017.07.10 2018.04.18織田戦国時代三好松永
戦国時代小早川隆景 「毛利の両川」として、元就や輝元を支えた名将の生涯について 小早川隆景は毛利元就の三男として生まれ、毛利氏の勢力の拡大と維持に大きく貢献した人物です。 水軍を統括して厳島の戦いなどで活躍した他、外交や統治面でも優れた働きを見せています。 天下人となった豊臣秀吉からは為政者として大きな評価... 2017.07.05 2018.04.18戦国時代豊臣毛利小早川
織田丹羽長秀 織田家の双璧と呼ばれ、軍事や行政に活躍した武将の生涯について 丹羽長秀は織田信長の重臣として活躍し、「織田家の双璧」とも呼ばれた優れた武将です。 軍事でも功績を上げていますが、安土城の普請奉行を務めるなど、行政面でも多くの実績を残しており、多方面に渡って活動しています。 織田家では「米五郎... 2017.06.23 2018.04.18織田戦国時代
戦国時代本多忠勝 「天下無双」と呼ばれた戦国最強の武将の生涯 本多忠勝は幼いころから家康に仕え、生涯を通じて忠義を尽くし、数多くの戦場で活躍した武将です。 家康の家臣の中でも特に優れた者を指す「徳川四天王」のひとりに数えられ、天下統一の達成に大いに貢献しています。 また、織田信長や豊臣秀吉... 2017.06.16 2018.04.18戦国時代徳川