三国志言葉

用語集

「馬氏の五常、白眉最も良し」とは

「馬氏の五常、白眉最も良し」は、三国志の中に登場する言葉です。 後漢の末期、荊けい州の襄陽じょうよう郡に馬姓の五人兄弟が住んでいました。 兄弟全員がいずれも秀才だったので称賛を受け、郷里ではこれをことわざにして「馬氏の五常、白眉最も良し...
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天下三分の計とは

天下三分の計は、三国志において、諸葛亮が劉備に勧めた戦略案です。 207年頃、劉備は荊けい州を支配する劉表の客分となり、新野に駐屯していました。 劉備はやがて司馬徽しばきや徐庶に勧められ、臥龍がりょう(眠れる龍)と呼ばれる諸葛亮に会いに...
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三顧の礼とは

三顧の礼は、三国志に登場する劉備が、諸葛亮を三度も訪ねて面会し、彼を軍師として迎えた故事から生まれた言葉です。 当時、劉備は左将軍という高い地位についており、戦乱の中で活躍し、天下に名を知られた英傑でした。 これに対し諸葛亮はまだ無名で...
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「人中の呂布、馬中の赤兎」とは

人中の呂布、馬中の赤兎せきととは、「人の中には呂布という傑出した勇者がおり、馬の中には赤兎という天下の名馬がいる」という意味です。 呂布は三国志に登場する抜群に強い武将で、特に馬に乗って戦うのが得意でした。 そして赤兎は一日に千里(40...
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「泣いて馬謖を斬る」とは 諸葛亮と馬謖の関係性について

「泣いて馬謖ばしょくを斬る」とは、三国志の故事を元にした言葉です。 「目をかけてきた優秀な部下が罪を犯したが、規律を守り、公正さを保つために、やむなく厳罰を与える」という意味です。 これは蜀の諸葛亮が、部下の馬謖を処刑したことから生まれ...
三国志

「治世の能臣、乱世の奸雄」と曹操が評されたワケ

曹操《そうそう》は若い頃に「治世の能臣、乱世の奸雄《かんゆう》」だと評されています。 これは「世が平和に収まっている時は有能な臣下として働くが、乱世になるとずる賢い英雄になるだろう」という意味です。 褒めているのか、けなしているのか、微...