福島正則

戦国時代

加藤光泰、おおいに怒り清正の命を救う – 文禄の役の逸話より

「豊臣秀吉に仕えていた加藤」と言えば清正が有名ですが、もうひとり、加藤光泰みつやすという武将もいました。 光泰は豊臣政権下において、甲斐(かい)(山梨県)24万石の大名で、肥後(ひご)(熊本県)25万石の清正と、ほぼ同等の立場にありました...
戦国時代

徳川家康はどうして大坂の陣で豊臣秀頼を滅ぼしたのか?

徳川家康は1615年、大坂夏の陣と呼ばれる戦いで豊臣秀頼を滅ぼしました。 家康が天下人になったのは1603年のことで、それから約10年の間、豊臣家を臣従させようと試みるなどしていましたが、最終的にはその血を絶やしてしまっています。 この...
戦国時代

黒田官兵衛はどうして関が原の戦いにおける長政の活躍を苦々しく思ったのか?

黒田官兵衛は名軍師として知られる戦国時代の武将ですが、「策が多く野心に満ちた人物であった」と見なされることが多い人でもあります。 しかし官兵衛は、生涯で一度も主君を裏切ったことはありません。 初め小寺政職に仕え、ついで羽柴秀吉に仕え、と...