アメリカを始めとする世界的な政治情勢の混乱の原因は、古代から連綿と続く沿岸部と内陸部の対立が、現代において先鋭化していることにあるのではないか、という仮説を考えた。
例えば日本の歴史においては、平安時代末期の源氏と平氏の抗争がこれに当たる。
源氏に属した勢力は、騎兵を中心とした陸上で戦う兵士によって構成されており、海上の扇を矢で撃ち落とした那須与一の物語は、その象徴だと言える。
海上でゆらぎ続ける扇を、馬上から弓矢で射落とすという「陸で育ったものが、馬の力を借り、すさまじい技量によって海と船を制する」ことを表しているこの逸話には、そのまま源氏と平氏の戦いのありさまが凝縮されている。
これ以前にも、平氏の大軍が、源氏の一族である木曽義仲と戦った際に、角に松明をくくりつけられた牛の大群に蹂躙されて敗れる、という挿話も平家物語で語られている。
これが史実かどうかはおくとして、馬にせよ牛にせよ、陸上で育まれ、人間の力を増大させる存在だ。
この2つの挿話によって、源氏はそれらの力を活用することによって勢力を高めた「陸の民」であることが、物語的に強調されている。
これに対し、平氏は船を用い、海上を自由に行き来することによって勢力を拡大した一族だ。
彼らは優れた操船技術を備えており、宋との交易によって財力を強化し、舶来品を要人に贈るなどして中央政界に入り込み、ついには太政大臣という最高位の官職を得るに至る。
平氏の総帥である平清盛は、博多に日本で初めて人工の港を築くという事績があり、また、内陸の平安京から、より交易がやりやすい福原という港街に都を移そうと試みもした。
そうすることで日宋交易をさらに盛んにし、やがては東シナ海や南シナ海にまたがる海上王国を築こうとまで考えていた。
この思想や行いに現れているように、平氏は海がもたらす力によって繁栄した一族で、まさに「海の民」であり、源氏とは対照的な存在だ。
平家物語は、海の民が陸の民に敗れていく過程を描いた物語なのだと言える。
その後の日本の歴史では、戦国時代に海の民である豊臣秀吉がいったんは天下を制するが、陸の民である徳川家康によって政権を奪われる、という流れも生じている。
豊臣秀吉は明を侵略し、遠くインドにまでまたがる大海上帝国を築き上げようという野心を抱き、このために日本を統一した後、盛んに海外遠征を行った。
この意味では、秀吉は清盛の後継者なのだろう。
しかし秀吉はすでに老齢であったためにこれを完遂できず、いたずらに国内を疲弊させてしまい、家康がつけこむ隙を作り出すことになる。
家康が作った徳川幕府は、やがて鎖国政策によって国を閉ざし、ごく一部の他国としか関わりを持たなくなり、平和と安寧を築くものの、社会の活力を減じさせることになった。
積極的に海外進出を狙った秀吉とは対照的で、鎖国政策は、まさに陸の民的な発想から生まれたものだと言えるだろう。
と、このように日本における海の民と陸の民の対立について描いたが、これは日本に限った話ではなく、現在でも世界中で発生している現象だ。
中国では沿岸部と内陸部の経済格差が非常に大きくなり、政府は内陸部の不満が高まりすぎないよう、沿岸部から吸い上げた税収から多額の投資を行っている。
アメリカのカリフォルニア州は、単独でも世界6位に位置するほどの経済規模を持っているが、ここは州の大半が太平洋に面している、まさに海の民の地域だ。
一方で、アメリカでも農業や工業が中心の内陸の地域は、沿岸部に比べて経済力で劣っており、住民が不満を抱え、沿岸部との対立を生んだ結果としてトランプ大統領の就任が実現している。
トランプ大統領はカリフォルニア州に対し、言うことを聞かなければ連邦からの支援金を減らすぞと脅しをかけ、これに対してカリフォルニア州は、ならば連邦への上納金を支払わないぞ、と応じて争いが生じている。
このことに、トランプ大統領はアメリカの陸の民の支持を背負っており、アメリカの海の民と対立していることが象徴されている。
(メキシコとの国境に壁を築くという政策は、一種の鎖国政策だろう)
どうしてこのような争いが発生するかというと、海と陸においては、その経済活動の収益性に大きな違いがあるから、ということに原因が求められる。
農業や工業のように、物を生産し、その質を高め、利益を増やしていくという行いは斬新的なもので、その成長速度は常にゆるやかなものとなる。
それに比べ、商品の交易を行ったり、情報の流通や通貨、株式などの取引を行う機動的な商業活動は、はるかに効率よく収益を上げることができる。
こういった海の民が行う経済活動は、陸の民に比べて労働力や資本、原価が圧倒的に少なくてすむからだ。
そこから生じる格差は…正確な数字をあげることは難しいが、時に数十倍、数百倍もの差を生み出すこともある。
事実、アメリカでは国の富の90%を、1%の人口(海の民)が占める、という現象が発生している。
これにより、自由な経済活動が行える環境であれば、海の民は常に陸の民よりも有利な立場を獲得することになる。
しかしこうした格差が、今のアメリカのように共同体の分断をもたらす原因となる。
人間が他の人間に親しみを持ち「同じ共同体に属している」という帰属感を得るには、経済力がある程度の水準で均衡している必要がある。
しかし経済活動の自由度が高ければ高いほど、海の民と陸の民の格差は拡大してゆき、共同体の一体感は損なわれ、分裂傾向を強めていくことになる。
そうなると陸の民は、経済活動の自由度を狭め、海の民が蓄えた資本を収奪し、共同体の均衡を取り戻そうと強く働きかけるようになっていく。
陸の民の強みは人口が多く、生産を担っていることにある。
このため、武器を取って戦えば、最終的には兵力と組織力に勝る陸の民の側が勝利することが多い。
海の民は人口が少ないため、戦いになれば不利な状況におかれやすく、その多くは傭兵を雇うことによって戦力の不足を補おうとする。
海の民の資金は豊富なので、兵士の数だけは多く揃えることができ、これによって陸の民に対抗できると考えがちだ。
しかし傭兵は賃金と引き換えに、契約で戦っているに過ぎず、統制が行き渡りにくいため、最終的には陸の民の戦力に敗れ去ることが多い。
例えば日本では大阪の陣において、豊臣秀頼は父・秀吉が蓄えた財を用い、多くの牢人(つまりは傭兵)を雇い入れて徳川軍に対抗しようとしたが、裏切り者や命令を無視するものが多く出ており、まとまった軍隊として戦うことができずに敗れ去っている。
古代エジプトの女王・クレオパトラは地中海沿岸諸国の中で随一の経済力を保有しており、その力があれば、地中海の覇者である古代ローマにすら勝利できると考えた。
しかし実際には傭兵だよりのエジプト軍は弱く、重装歩兵を中心とした志願兵(実質的に国民軍)を組織するローマ軍に敗れ去り、あえなく滅亡している。
古代ローマでは、「兵士で富は作れるが、富で兵士は作れない」という言葉があったそうだが、これも実に陸の民的な言葉なのだと言える。
こうして陸の民が軍事力で勝利を収めることにより、海の民の力を押さえ、秩序だって均衡した世を作りだす例がいくつかある。
家康が作った政権は264年も続き、クレオパトラに勝利したアウグストゥスはパクス・ロマーナと呼ばれる平和な時代を現出させた。
一方で、こうした陸の民の統制力が弱まる時期が来ると、海の民の力が再び勃興し、彼らは経済力を蓄えて栄えることになる。
世界の歴史は、陸の民と海の民の盛衰の繰り返しなのだと見ることができるかもしれない。
これまであちこちに時代や地域を散らして書いてきたが、海の民と陸の民の対立構造はどこにでも現れるもののようだ。
現代ではグローバリズムの名の元に、自由かつ広域の経済活動が盛んに行われるようになり、インターネットの普及がそれに拍車をかけた。
しかしそれが世界中で陸の民の反発を招き、世界同時的にグローバリズムへの反抗が始まっているのではないか、というのがこの文章で述べたかったことである。
結論としてはありきたりなものではあるけれど、古代からの歴史の中に位置づけてみれば、さほど珍しい現象ではないと思われる。


