「最後の将軍」(著:司馬遼太郎)の感想・レビュー

「最後の将軍」はタイトルの通り、徳川幕府の最後の将軍となった、徳川慶喜(よしのぶ)を主人公とした小説です。

徳川慶喜と言えば、大政奉還によって統治権を朝廷に返還したことと、新政府軍の追討を受けた際に、徹底して降伏・恭順の意を明らかにし、江戸が戦火にまみれることを回避した事跡が知られています。

平和的に政権交代を行ったことが称賛される一方で、将軍でありながら、幕府を守ろうとしなかった惰弱な人物であると見なされるむきもありました。

この小説によると、そもそも慶喜は水戸藩主・徳川斉昭(なりあき)の子だったのですが、この斉昭も水戸藩も幕府から嫌われており、その煽りをうけて、慶喜もまた、幕閣や大奥から嫌悪されていたのだそうです。

水戸藩というのは、いわゆる御三家のうちの一家で、幕府の開祖・徳川家康の子孫が藩主を務める家柄です。

このため、水戸藩主は幕府を補佐する立場にあり、幕府とは良好な関係を保っていたのだろうと思っていましたので、この話は意外でした。

どうして水戸藩は幕府に嫌われていたのか?

水戸藩では有名な徳川光圀(水戸黄門の異名で知られる人物)が藩主だった時代から、多額の費用をかけて日本の歴史を研究し、やがて「日本は天皇こそが真の統治者であり、幕府は天皇から統治を委任されている存在に過ぎない」とする、いわゆる尊王思想を唱えるようになります。

このため、水戸藩の内部では密かに「もしも日本国内で政変が起き、幕府と朝廷が対立する事態になれば、水戸藩は朝廷に味方する」という決議が成されてもいたようです。

これは幕府からすれば、身内に裏切り者がいるようなものであり、このために水戸藩は幕府から警戒される存在になっていたのです。

慶喜はこの水戸藩の出身であったため、幕府から全幅の信頼を得ることはありませんでした。

慶喜は朝廷との結びつきが強かった

そして慶喜自身も水戸藩で教育を受けて育ったため、尊王思想の影響を受けており、さらに母親が宮家(天皇の一族)の出身であったことから、朝廷との結びつきが強い人物でもありました。

この結果、慶喜は将軍になる以前に、朝廷と結んで幕府から政権を奪おうとしているのではないかと疑われることもあり、慶喜からすれば、幕府のために力を尽くそうという意欲が弱くなってしまったのではないかと思われます。

そのような背景を知ると、慶喜がさほどのためらいもなく、大政奉還をして統治権を朝廷に譲渡したことや、新政府軍との決戦となった「鳥羽・伏見の戦い」の後に、あっさりと江戸に撤退してしまった理由がわかるような気がします。

最後の将軍としての慶喜

慶喜は才知に長けていたものの、貴公子らしく、粘り強さやあくの強さには欠けていました。

それゆえに将軍の権力に対する執着心も弱く、徳川幕府を平和的に終わらせることができたようです。

もしも、もっと権力欲が強く、幕府の存続に命をかけるような人物が将軍になっていたら、新政府軍と旧幕府軍の対立は深刻なものとなり、日本中が戦火にまみれる事態になっていたかもしれません。

そうなれば西洋諸国が介入し、内戦が激化して分裂状態となり、いずれかの国の植民地にされていた可能性もあったでしょう。

ゆえに、慶喜が最後の将軍となったのは幸いなことだったのだと思いました。

この小説は司馬遼太郎らしく、論旨が明快で、わかりやすく慶喜の行動の動機を知ることができます。

長編小説のカテゴリではありますが、一冊でまとまっており、司馬遼太郎の小説にしては、それほど長いものでもないので、さくさくと読み終えることができました。

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