日本史

幕末

薩英戦争における薩摩藩の死傷者数は少なすぎるのではないか?

最近、1863年に発生した薩英戦争について調べていたのですが、どうも不自然だな、と感じたことがありました。それは、この戦争における薩摩側の死傷者数が、異常なまでに少なすぎるのでは? という点です。この戦いではイギリス側は63名が死傷し、薩摩...
戦国時代

毛利隆元に興味を引かれたという話

先日、毛利元就と厳島の戦いについての記事を書く時に、毛利隆元についても調べてみました。毛利隆元について知っている人は、きっと少なめだと思います。隆元は戦国時代に中国地方の覇者となった元就の長男で、吉川元春や小早川隆景の兄です。(弟たちの姓が...
人物

「源氏物語」の作者、紫式部について

紫式部は平安時代の女性で、「源氏物語」の作者として知られる人物です。中級貴族である藤原為時の娘として978年に誕生したと言われていますが、諸説があって生没年ははっきりとしていません。また「紫式部」は父が「式部大丞」という地位にあったことに由...
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人物

「信長公記」の著者・太田牛一について

太田牛一(ぎゅういち)は織田信長に仕えていた武将で、「信長公記」という歴史書の作者として知られています。1527年に尾張で生まれ、守護の斯波義統に仕えていました。斯波義統が家臣の織田信友に討たれた後、その嫡男である義銀に従って織田信長に仕え...
人物

美濃三人衆とは

美濃三人衆は戦国時代に美濃(岐阜県)の西部を支配していた国人領主たちを指す名称です。安藤守就(もりなり)・稲葉一鉄・氏家直元の3人を指します。彼らは美濃を支配する斎藤氏に仕えていましたが、尾張の織田信長の勢力が伸びてくるとこちらに寝返り、信...
人物

小野道高・道好と井伊氏の抗争について

小野道高は戦国時代に遠江(静岡県西部)の国人領主・井伊直盛に仕えていた人物です。井伊氏は井伊谷という土地に鎌倉時代から割拠しており、戦国時代になると駿河の今川氏の傘下に入っていました。小野道高は家老という立場でありながらも、主家をおびやかす...
人物

井伊直盛から直親、直虎への家督の継承について

井伊氏は遠江(静岡県西部)の井伊谷に勢力を持っていた豪族です。鎌倉時代から同地の領主になっており、長く割拠していました。戦国時代になると駿河(静岡県東部)の今川氏の勢力下に入りますが、時に対立し、時に従いと、付かず離れずの関係でもあったよう...
人物

織田信雄 信長の不肖の次男は、意外としぶとく生き延びる

織田信雄は織田信長の次男として1558年に生まれました。信長の子にしては何かとうかつなところが多く、織田家中でも暗愚な人物と見られていました。それでいて戦国の世をなんとかくぐり抜け、小さいながらも大名として生き残っています。この文章ではそん...
人物

「方丈記」の作者、鴨長明について

鴨長明は「方丈記」という随筆を書いたことで知られる人物です。随筆の他、和歌や琵琶の演奏にも秀でるなど、芸術的な才能を豊富に備えていました。1155年に生まれ、公家の世が衰退し、武士の台頭がはじまる変動期に生涯を過ごしています。神職の家に生ま...
人物

「徒然草」の作者、吉田兼好(兼好法師)について

吉田兼好は「徒然草」の作者として名高い人物です。出家後の兼好法師という名でも知られています。1283年頃に誕生し、鎌倉幕府の滅亡から南北朝の動乱の時期に生涯を送っています。神職か武士か従来は神職の出身だと言われていましたが、現在では「滝口の...