kenjo@管理人

三国志

蒋済 文武に秀で、司馬懿と親しかった魏の忠臣

蒋済しょうさいは曹操から始まり、魏の三代の皇帝に仕えた人物です。 揚州の地方官として名をあげ、やがて朝廷で働くようになり、太尉たいい(大臣)にまで地位が昇りました。 文武のどちらにも長じており、作戦面でも活躍しています。 ...
戦国時代

明智光秀の妻 妻木煕子について

明智光秀の妻は、姓名を妻木煕子つまきひろこと言います。 生年は不明ですが、1530年ごろではないかと推測されています。 妻木氏は美濃みの(岐阜県)の土豪で、現在の土岐市妻木に山城を構えていました。 これは409メートルの山...
三国志

劉曄 漢王室の血を引きながら、魏の重臣となった智者の生涯

劉曄りゅうようは魏に使えた参謀です。 地方の反乱や張魯ちょうろの討伐の際に曹操に助言をし、勝利へと導いています。 一方で、漢王室の血を引いていることから、劉氏から曹氏へと権力が移り変わってゆく過程において、目立たぬようにと努めて...
古代

卑弥呼 邪馬台国を治めた女王 天皇家との関わりは

卑弥呼ひみこは『魏志倭人伝ぎしわじんでん』に登場する、古代日本に存在していた女王です。 邪馬台やまたい国の王で、周辺の諸国を束ねる地位についていました。 邪馬台国では、もともとは男子が王位についており、そうした時代が7〜80年ほ...
2019.12.13
三国志

曹真 諸葛亮の侵攻を抑えた魏の将軍

曹真そうしんは字を子丹したんといい、曹操の甥です。 父の曹邵しょうは忠誠心と才能を備えていたために、曹操から信任されていました。 やがて曹操が挙兵すると、曹邵は徒党を募ってつき従い、活躍します。 しかし豫よ州刺史ししの黃琬...
2019.11.28
三国志

曹休 呉との戦いで活躍した曹操の甥

曹休そうきゅうは字を文烈ぶんれつといい、曹操の甥です。 天下が動乱に見舞われると、曹氏の一族はばらばらになって郷里から立ち去りました。 曹休は十代で父を失い、食客とともに亡骸をかついで仮に埋葬をすると、年老いた母を連れて長江を渡...
三国志

袁紹 曹操と覇を競うも、官渡で敗れた名門の当主

袁紹えんしょうは後漢の末期において、黄河の北方に勢力を築いた人物です。 名門の出身で、若い頃から高官の地位につき、動乱が発生してからは反董卓軍の中心人物となりました。 その後は北方の四州を制し、諸侯の中で最大級の勢力を得ることに...

賈詡 張繡や曹操に仕えて活躍した智謀の士

賈詡かくは董卓、李傕、張繡ちょうしゅく、曹操らに仕えて活躍した軍師です。 人並み外れた智謀を備えており、その計略によって戦いを勝利に導き、情勢に大きな影響を与えています。 そして曹丕が曹操の後継ぎになる上で貢献したので、最終的に...
2019.10.29

張楊 大司馬にまでのしあがるも、部下に討たれた呂布の友人

張楊ちょうようは後漢の末期において、河内で勢力を築いた将軍です。 并へい州の出身で、呂布とも親しくしていました。 乱世の中で勢力を築き、やがて献帝を保護し、大司馬だいしばにまで立身します。 しかし仁愛が深い性格があだとなっ...

敬哀皇后・張皇后 劉禅の皇后となった、張飛の娘たち

敬哀けいあい皇后は劉禅の正室になった女性で、張飛の長女です。 母は夏候覇かこうはの従妹で、薪を取りに出ていたところを張飛が捕まえて、妻にしたという経緯がありました。 敬哀皇后は諡おくりなで、名は伝わっていません。 221年...