賈詡 張繡や曹操に仕えて活躍した智謀の士

賈詡かくは董卓、李傕、張繡ちょうしゅく、曹操らに仕えて活躍した軍師です。 人並み外れた智謀を備えており、その計略によって戦いを勝利に導き、情勢に大きな影響を与えています。 そして曹丕が曹操の後継ぎになる上で貢献したので、最終的に...
2019.10.29

張楊 大司馬にまでのしあがるも、部下に討たれた呂布の友人

張楊ちょうようは後漢の末期において、河内で勢力を築いた将軍です。 并へい州の出身で、呂布とも親しくしていました。 乱世の中で勢力を築き、やがて献帝を保護し、大司馬だいしばにまで立身します。 しかし仁愛が深い性格があだとなっ...

敬哀皇后・張皇后 劉禅の皇后となった、張飛の娘たち

敬哀けいあい皇后は劉禅の正室になった女性で、張飛の長女です。 母は夏候覇かこうはの従妹で、薪を取りに出ていたところを張飛が捕まえて、妻にしたという経緯がありました。 敬哀皇后は諡おくりなで、名は伝わっていません。 221年...

穆皇后(呉莧) 人相見に称賛され、劉備の正室となった女性

穆ぼく皇后は劉備の正室になった女性で、兗えん州の陳留郡の出身でした。 穆というのは諡おくりなで、姓名は呉莧ごかんといい、呉氏と呼ばれることもあります。 幼くして親を失い、兄の呉壱ごいつとともに孤児になりました。 父親が朝廷...

黄皓 劉禅に取り入り、蜀の滅亡を導いた宦官

黄皓こうこうは劉禅が成長するに従い、寵愛されるようになった宦官かんがんです。 宦官は去勢をした上で、皇族に仕える使用人で、身の周りの世話をするのがその仕事でした。 身近なところで接するため、皇族に親しまれて信頼され、やがては権力...

廖化 蜀の始まりから終わりまでを見届けた将軍

廖化りょうかは蜀に仕えた将軍です。 蜀の建国以前から関羽や劉備に仕えており、彼らの死後は、諸葛亮や姜維の元で戦いました。 長く活躍し続け、やがて右車騎将軍となり、蜀軍の重鎮にまで立身しています。 70才を超えて現役であり続...

諸葛瞻 父には劣るも、忠節は尽くした諸葛亮の子

諸葛瞻しょかつせんは字あざなを思遠しえんといい、蜀の丞相・諸葛亮の子です。 227年に誕生しました。 諸葛亮は諸葛瞻が生まれた頃から、魏を打倒するための北伐を実施していました。 そして234年には、五丈原に出陣します。 ...

劉永 劉備の子として魯王になり、蜀の滅亡後も子孫が生き延びる

劉永りゅうえいは字あざなを公寿こうじゅといい、劉備の子です。 劉禅の異母弟であり、劉備が蜀の皇帝に即位した際に、魯ろ王になりました。 中国の王室では、一族を地方の王に封じ、藩国を作って王室の支えとする慣習がありました。 こ...
用語集

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」とは

「死せる孔明、生ける仲達ちゅうたつを走らす」とは、三国志の中で語られている言葉です。 「孔明」は諸葛亮、「仲達」は司馬懿しばいの字あざなで、両者の間に起きた出来事から、この言葉が生まれました。 以下の文章で、その経緯と意味を紹介...

徐庶 劉備に諸葛亮を紹介するも、母を捕らえられ曹操に仕える

徐庶じょしょは諸葛亮の友人で、劉備に彼を引き合わせた人物です。 もとは剣を振り回す無法者でしたが、やがて心を入れ替え、学問に励むようになります。 そして学友を得て荊けい州に移ると、やがて諸葛亮とも親しくなりました。 それか...
2019.09.07