敬哀皇后・張皇后 劉禅の皇后となった、張飛の娘たち

敬哀けいあい皇后は劉禅の正室になった女性で、張飛の長女です。 母は夏候覇かこうはの従妹で、薪を取りに出ていたところを張飛が捕まえて、妻にしたという経緯がありました。 敬哀皇后は諡おくりなで、名は伝わっていません。 221年...

穆皇后(呉莧) 人相見に称賛され、劉備の正室となった女性

穆ぼく皇后は劉備の正室になった女性で、兗えん州の陳留郡の出身でした。 穆というのは諡おくりなで、姓名は呉莧ごかんといい、呉氏と呼ばれることもあります。 幼くして親を失い、兄の呉壱ごいつとともに孤児になりました。 父親が朝廷...

黄皓 劉禅に取り入り、蜀の滅亡を導いた宦官

黄皓こうこうは劉禅が成長するに従い、寵愛されるようになった宦官かんがんです。 宦官は去勢をした上で、皇族に仕える使用人で、身の周りの世話をするのがその仕事でした。 身近なところで接するため、皇族に親しまれて信頼され、やがては権力...

廖化 蜀の始まりから終わりまでを見届けた将軍

廖化りょうかは蜀に仕えた将軍です。 蜀の建国以前から関羽や劉備に仕えており、彼らの死後は、諸葛亮や姜維の元で戦いました。 長く活躍し続け、やがて右車騎将軍となり、蜀軍の重鎮にまで立身しています。 70才を超えて現役であり続...

諸葛瞻 父には劣るも、忠節は尽くした諸葛亮の子

諸葛瞻しょかつせんは字あざなを思遠しえんといい、蜀の丞相・諸葛亮の子です。 227年に誕生しました。 諸葛亮は諸葛瞻が生まれた頃から、魏を打倒するための北伐を実施していました。 そして234年には、五丈原に出陣します。 ...

劉永 劉備の子として魯王になり、蜀の滅亡後も子孫が生き延びる

劉永りゅうえいは字あざなを公寿こうじゅといい、劉備の子です。 劉禅の異母弟であり、劉備が蜀の皇帝に即位した際に、魯ろ王になりました。 中国の王室では、一族を地方の王に封じ、藩国を作って王室の支えとする慣習がありました。 こ...
用語集

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」とは

「死せる孔明、生ける仲達ちゅうたつを走らす」とは、三国志の中で語られている言葉です。 「孔明」は諸葛亮、「仲達」は司馬懿しばいの字あざなで、両者の間に起きた出来事から、この言葉が生まれました。 以下の文章で、その経緯と意味を紹介...

徐庶 劉備に諸葛亮を紹介するも、母を捕らえられ曹操に仕える

徐庶じょしょは諸葛亮の友人で、劉備に彼を引き合わせた人物です。 もとは剣を振り回す無法者でしたが、やがて心を入れ替え、学問に励むようになります。 そして学友を得て荊けい州に移ると、やがて諸葛亮とも親しくなりました。 それか...
2019.09.07

甘夫人(昭烈皇后) 劉備の側室で、劉禅の母となった女性

甘夫人かんふじんは、劉備の側室だった女性です。 豫よ州・沛はい国の出身で、劉備が豫州を統治し、小沛しょうはいを拠点としていた頃に側室になりました。 これは劉備が徐州や豫州を舞台として、曹操や呂布と抗争をしていた時期にあたります。...

諸葛亮孔明 漢王朝の復興を目指し、魏に戦いを挑んだ蜀の宰相

諸葛亮しょかつりょうは三顧の礼によって劉備に仕え、蜀の宰相となった人物です。 劉備の死後は蜀の全権を委ねられ、漢王朝を復興させるために力を尽くしました。 諸葛亮は蜀の内政を整え、軍を整備し、強大な魏の討伐に挑みます。 しか...
2019.09.06