用語集

侍中とは 三国志では荀彧や馬良が就任

侍中じちゅうは中国の官職です。元々は皇帝の身辺に仕えて雑用をこなす係で、身分はさほど高いものではありませんでした。皇帝の衣服から乗り物、果てはたん壺の管理までしていたと記録されています。前漢の武帝の時代に、孔子の子孫である孔安国こうあんこく...

周瑜 赤壁で曹操を破り、呉の隆盛を導いた名将の生涯

周瑜しゅうゆは孫策や孫権に仕えて活躍した将軍です。孫策の時代には彼を補佐し、揚州の制覇に大きく貢献しました。そして孫権の代には、大軍を率いて攻めこんで来た曹操を赤壁で撃破し、三国時代が開かれる契機を作り出します。その後、荊州南部を攻略し、曹...

伊籍 荊州で劉備に仕え、外交や法の制定に活躍した人物

伊籍いせきは劉備に仕え、外交や法の制定を担当した人物です。字あざなは機伯きはくといい、出身地は兗えん州の山陽郡でした。劉表が同郷だったことから、彼が荊州の刺史(長官)になると、そちらに身を寄せています。劉備と知り合う劉備は200年ごろまでは...
用語集

「泣いて馬謖を斬る」とは 諸葛亮と馬謖の関係性について

「泣いて馬謖ばしょくを斬る」とは、三国志の故事を元にした言葉です。「目をかけてきた優秀な部下が罪を犯したが、規律を守り、公正さを保つために、やむなく厳罰を与える」という意味です。これは蜀の諸葛亮が、部下の馬謖を処刑したことから生まれています...

孫乾 儒学者としての人脈によって、劉備の外交官として活躍

孫乾そんけんは劉備に仕え、各地への使者として活躍した人物です。字あざなは公祐こうゆうといい、青州の北海郡の出身でした。劉備が陶謙から徐州を譲られ、統治していた時に招聘しょうへいされています。そして従事という側近の地位を与えられ、以後は生涯に...

簡雍 劉璋を降伏させた、飾り気のない外交官の生涯

簡雍かんようは字あざなを憲和けんわといい、幽州の琢たく郡の出身でした。劉備と同郷で、二人は若い頃からの知り合いです。184年に黄巾の乱が発生し、劉備が挙兵すると彼についていき、一緒に三十年あまりも、各地を転々とすることになりました。といって...
用語集

宦官とは 蔡倫・曹騰・十常侍について

宦官かんがんは中国などに存在していた、去勢された上で、宮殿に仕える者たちのことを言います。もともとは去勢されているとは限らなかったのですが、後漢以降は去勢された者だけが宦官に就任したため、「宦官=去勢された者」と認識されるようになっています...

糜竺 故郷と捨てて劉備に従うも、弟の糜芳に裏切られた忠臣

糜竺びじくは徐州の資産家の家に生まれ、その人柄や能力も高く評価されていた人物です。徐州刺史・陶謙とうけんの副官を務めており、彼が亡くなる際に、劉備に徐州を統治するよう要請しました。それ以後は窮地に陥った劉備に多額の援助をし、妹を嫁がせるなど...
三国志

曹洪 曹操に仕えて活躍するも、曹丕に処刑されそうになった将軍

曹洪そうこうは曹操や曹丕に仕えた武将です。際だった働きはなかったものの、各地の戦いで安定して戦果をあげました。やがて魏の高官に登りつめるのですが、曹洪は蓄財を好んでおり、それでいてケチだという性格でした。そのせいで皇帝となった曹丕に処刑され...

法正 劉備に仕え、蜀の建国に貢献した参謀の生涯

法正ほうせいは劉備に仕え、参謀として活躍した人物です。特に侵攻作戦の立案を得意としており、漢中の奪取を主導しました。この結果、劉備は漢中王となり、やがて蜀漢を建国するに至ります。しかし法正は劉備が皇帝になった姿を見ることなく、漢中戦の翌年に...