2016-10

戦国時代

上杉謙信(長尾景虎) 軍神と呼ばれ、信義に生きた武人の生涯について

上杉謙信は毎年のように各地に出兵し、その生涯の多くを戦場で過ごした生粋の武人です。後世から「軍神」と呼ばれるほど優れた武将でしたが、その行動原理は他の戦国武将たちと異なっており、際立った個性の持ち主でもありました。領土欲が乏しく、信義に厚く...
戦国時代

川中島の戦い 武田信玄と上杉謙信、宿敵同士の決戦について

1561年、武田信玄は北信濃の川中島で四度目の対峙を迎え、この時にはじめて上杉謙信と決戦を行いました。両者は長年に渡って抗争を続けており、宿敵と呼べる間柄でした。この文章では、そんな両者の最初で最後となった、正面きっての大規模な対戦の様相に...
戦国時代

真田幸村はどうして大坂城の南に真田丸を築いたのか?

真田幸村は「大坂冬の陣」の戦いにおいて、大坂城の南に真田丸という出城を築きました。そしてそこを拠点として防戦にあたり、徳川方の攻撃を防ぎつつ、多大な損害を与えることに成功します。この文章では真田丸と、それをめぐる戦いの様相について書いてみよ...
織田

明智光秀はどうして本能寺の変で織田信長を討ったのか?

明智光秀は低い身分から織田信長に引き立てられ、多くの領地や軍の指揮権を与えられた武将です。しかしやがて光秀は謀反を起こし、京都の本能寺で織田信長を討ちました。そして天下人になることを目指しますが、その野心は世から受け入れられず、裏切り者とし...
織田

木下藤吉郎が豊臣秀吉を名のるまで

羽柴秀吉は関白になって豊臣秀吉を名のるようになり、天下人としての地位を手に入れました。秀吉は元々は低い身分の出で、そこに至るまでの過程で何度も名前を変えています。この文章では、秀吉の名前の変化とともに訪れた、彼の出世の道のりについて書いてみ...
織田

松平元康が徳川家康を名のるまで

征夷大将軍となり、幕府を開いて天下を制した徳川家康は、その生涯において何度も名前を変えています。はじめは人に支配される立場から始まり、やがて独立し、三河の国主となるに従って、その名前も変遷していきます。この文章では、家康の名前の変遷が、どの...
戦国時代

真田信幸(信之)は、どうして昌幸や信繁とは別の道を歩んだのか?

真田信幸は高名な昌幸の長男で、真田家を発展させつつ、長く存続させることに成功した人物です。昌幸や弟の幸村(信繁)に比べるとさほど知られていませんが、彼もまた、優れた能力を備えて戦国の世を生き抜いたつわものです。この文章では、父や弟とは異なっ...
織田

長篠の戦いで織田信長が武田勝頼に圧勝できたワケ

織田信長は1575年に、長篠で武田勝頼と戦って大勝利を収めました。それまで武田軍は信長と、同盟者の徳川家康の前に強敵として立ちふさがっていましたが、この一戦によって優れた将兵を数多く失い、衰退の道をたどることになります。この文章では、どうし...