kenjo@管理人

織田

浅井長政はどうして織田信長を裏切って朝倉義景に味方したのか?

北近江(滋賀県)の大名・浅井長政は織田信長と同盟を結び、京への上洛に協力しました。しかし信長が越前(福井県)の朝倉義景を攻めたことをきっかけに決裂し、裏切って敵に回っています。そして石山本願寺や武田信玄と手を結んで包囲網を形成し、信長を大い...
戦国時代

徳川家康 将軍となって江戸幕府を開いた男の生涯

徳川家康は三河(愛知県東部)の小領主から身を起こし、織田信長と同盟を結んで勢力を伸ばした人物です。子どもの頃に人質になったり、武田信玄に苦戦したり、豊臣秀吉に臣従したりと数多くの苦難を経験しましたが、最終的には天下を制しています。家康が開い...
戦国時代

加藤清正 熊本城を築いた「清正公さん」の生涯について

加藤清正は豊臣秀吉に仕え、肥後(熊本県)の大名になった武将です。軍事だけでなく財務や内政、築城も得意としており、肥後の発展に大いに貢献しました。民衆からの支持を受けて死後に神格化され、「清正公(せいしょこ)さん」と呼ばれて親しまれ、今でも信...
楚漢戦争

項羽はどうして四面楚歌となって劉邦に敗れたのか?

項羽は紀元前200年ごろの古代中国で、短い期間ですが覇者となった武将です。秦を攻め滅ぼす戦いで活躍し、「西楚の覇王(せいそのはおう)」と名のって大陸に君臨しました。しかしその統治は安定せず、間もなく各地で反乱が頻発するようになります。そして...
織田

柴田勝家 信長の筆頭家老として活躍した猛将の生涯について

柴田勝家は戦国時代に織田信長の重臣として活躍した武将です。「日本で最も勇猛果敢」と評されたほどに戦場での働きが優れていました。信長の父・信秀の代から織田氏に仕えていましたが、一時は信長と敵対したため、用いられなかった時期もあります。しかし天...
戦国時代

井伊直政 赤備えを率いて活躍した「井伊の赤鬼」の生涯について

井伊直政は徳川家康に仕え、四天王のひとりに数えられた名臣です。軍事だけでなく、調略や外交にも秀で、家康の天下統一に大いに貢献しました。やがては若くして家康の筆頭家臣の地位につき、井伊家をおおいに繁栄させてもいます。しかし関ヶ原の戦いで負傷し...
織田

茶々(淀殿) 豊臣秀頼を生んだ女性の生涯について

茶々(ちゃちゃ)は豊臣秀吉の妻となって秀頼を生み、やがて豊臣家の実権を握った女性です。浅井氏と織田氏の一族に生まれ、戦乱の中で父と母を失いました。そして自身も大坂の陣という大戦に敗れ、豊臣家を滅亡に導いてしまっています。この文章では、そのよ...
戦国時代

今川氏真 父・義元の死後に全てを失うも、しぶとく生き延びた武家貴族の生涯について

今川氏真(うじざね)は「海道一の弓取り」と言われた東海道の大名・今川義元の嫡子です。父が織田信長に討たれた後、9年ですべてを失って大名としての今川氏を滅ぼしてしまいました。その後はかつて父の家臣だった徳川家康の元で生きのび、子どもや孫は旗本...
織田

藤堂高虎 8人の主君に仕え、伊勢32万石の大名にのしあがった「忠義の武将」の生涯について

藤堂高虎は近江の出身で、足軽から身を起こして各地を渡り歩き、8人もの主君に仕えた武将です。最終的には徳川家康や秀忠に仕えて信頼され、伊勢の32万石の大名にまでのし上がっています。初めは自身の立身のために励んでいましたが、やがては公のために献...
織田

山内一豊 妻の千代に助けられ、国持ち大名にまで出世した武将

山内一豊は織田信長の家臣で、豊臣秀吉、徳川家康とその時々の勝者に仕えることで戦乱の時代を生き延びた武将です。それほど大きな功績を立てることはなかったものの、妻の千代の助けを得て着実に出世を遂げ、最後は土佐一国の主にまでなっています。当人はあ...