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三国志

龐淯 涼州で知られた忠烈の士

龐淯ほういくは字あざなを子異しいといい、酒泉しゅせん郡表氏ひょうし県の出身です。初めは涼州の従事となり、破羌はきょうの県長を代行していました。するとある時、武威ぶいの太守である張猛ちょうもうが反乱を起こし、刺史しし(州長官)の邯鄲商かんたん...
三国志

呂虔 泰山を統治し、安定をもたらした武将

呂虔りょけんは字あざなを子恪しかくといい、任城郡の出身です。曹操が兗えん州にいたとき、呂虔は肝がすわっていて、策略に長けているという評判を聞き、従事に取り立てました。そして家兵を率いさせ、湖陸こりくを守らせます。反乱を鎮圧するある時、襄陵じ...
三国志

文聘 荊州を守った忠義に厚い武将

文聘ぶんへいは字あざなを仲業ちゅうぎょうといい、荊州の南陽郡宛えん県の出身です。劉表に仕える将となり、北方の防衛にあたっていました。劉表は二〇八年に亡くなりましたが、すると子の劉琮そうが後を継ぎます。この時期、曹操は荊州の征伐を行っていまし...

臧覇 東方で活躍した魏の将軍

臧覇ぞうはは曹操に仕えて活躍した将軍です。主に徐州・清州などの東方で活躍し、孫権との戦いでもいくたびか勝利しています。義に厚く、将を束ねる力があったので、曹操から重用されました。晩年は朝廷から警戒されることもありましたが、おおきな瑕疵はなく...
三国志

李通 侠気を備え、南方で活躍した勇将

李通りつうは曹操に仕えて活躍した武将です。もともとは荊州のあたりで独立した勢力を築いていましたが、やがて献帝の身柄を押さえた曹操の傘下に入りました。そして汝南じょなんを任され、賊を討伐して平定します。袁紹から勧誘された際にこれを断り、曹操へ...
三国志

徐晃 関羽を撃破するなどし、魏の覇権に貢献した名将

徐晃じょこうは曹操に仕えて活躍した将軍です。謹厳な性格の持ち主で、戦術眼に優れており、常に安定して戦功を立てています。荊州北部が関羽の攻撃を受けた際には、包囲網を打ち破って関羽を撃退し、曹操から賞賛されました。このため、魏の最も優れた将軍の...
三国志

張郃 馬謖を打ち負かすなど、各地の戦いで活躍した魏の名将

張郃ちょうこうは袁紹や曹操に仕えて活躍した将軍です。黄巾の乱の頃から戦い始め、諸葛亮の北伐の時代まで各地で活躍し続けました。張遼や徐晃と並び称されており、魏における最も優れた将軍の一人に数えられています。最後は上司となった司馬懿と意見が合わ...
明治

渋沢栄一の生涯 短縮版

渋沢しぶさわ栄一えいいちは、幕末は徳川慶喜よしのぶの家臣として、明治初期は大蔵省の官僚として、明治6年以降は実業家として活躍した人物です。この文章は、大河ドラマ『青天を衝け』の主人公である渋沢栄一の生涯を、短めにまとめて書いたものです。【渋...
三国志

楽進 名将として評価されるも、記録の乏しい将軍

楽進がくしんは張遼や徐晃らと並び称される魏の将軍です。常に戦いでは先頭を駆け、敵陣を攻め落とす武功を立てています。曹操からも高く評価され、右将軍にまで地位が登りました。しかしそのわりに記録が乏しく、評価にふわさしいだけの話が伝わっていない人...
三国志

倉慈 敦煌に善政をしき、民に慕われた太守

倉慈そうじは魏の時代に敦煌とんこうの太守に任命され、善政をしいた人物です。敦煌は漢の西の果てにあり、動乱の影響で統治が行き届かなくなっていました。倉慈はそれを立て直し、政治に公正さを取り戻し、民から慕われ、死後も祭られるようになります。この...