用語集

用語集

白馬義従とは

白馬義従はくばぎじゅうは三国志に登場する、公孫瓚こうそんさんが率いていた騎兵隊の名称です。「白馬」はそのまま「白い毛並みの馬」を意味し、「義従」は「騎乗した弓兵」のことを指しています。公孫瓚は幽州という、東北の辺境地帯で戦っていた将軍でした...
用語集

司隷校尉とは 三国志では曹操や張飛、諸葛亮が就任

司隷校尉しれいこういは漢代や三国時代に存在した官位です。古代の周王朝の時代に「司隷」という官位があり、それが元になっています。司隷は「隷(罪人や捕虜)を司る」という意味です。古代では、懲役囚に公務(公共の工事や辺境の守備)の手伝いをさせ、そ...
用語集

孝廉とは 三国志では曹操や孫権、荀彧などがこれによって推挙された

孝廉こうれんとは、中国の漢代に設置されていた人材登用の制度です。地方の人士の中から、優れた者を中央の官吏に任命するために設置されていました。「孝廉」は「孝行で欲が少なく、正直な人柄」を意味しています。つまりは儒教の理想にかなう、人格的に秀で...
用語集

黄門侍郎とは 三国志では荀攸や鍾繇が就任 水戸黄門とも関係あり

黄門侍郎こうもんじろうは中国の官職です。皇帝の側近として、勅命を諸官に伝達する役目を担っていました。「黄門」は宮中の門のことで、秦や漢の時代には、黄色く塗られる習慣があったことから、この名称がつけられています。そして皇帝の侍郎(側近)は宮中...
用語集

河南尹とは 三国志では夏侯惇や司馬芝が就任

河南尹かなんいんは地域名であり、官職名でもあります。後漢の首都・洛陽らくようがある地域なので、他と差別化するために「尹いん」が使われています。行政単位としては、郡と同じ規模です。この地域を担当する行政長官もまた、河南尹と呼ばれました。郡を統...
用語集

三顧の礼とは

三顧の礼は、三国志に登場する劉備が、諸葛亮を三度も訪ねて面会し、彼を軍師として迎えた故事から生まれた言葉です。当時、劉備は左将軍という高い地位についており、戦乱の中で活躍し、天下に名を知られた英傑でした。これに対し諸葛亮はまだ無名で、友人な...
用語集

太守とは

太守たいしゅは中国の官職です。秦しんの時代に設置された郡守ぐんしゅが元になっており、郡という行政単位を統治するのがその役割です。当時、郡守は行政のみを担当しており、軍事は郡尉ぐんいが担当していました。秩禄は二千石せきで、丞相じょうしょう(首...
用語集

「人中の呂布、馬中の赤兎」とは

人中の呂布、馬中の赤兎せきととは、「人の中には呂布という傑出した勇者がおり、馬の中には赤兎という天下の名馬がいる」という意味です。呂布は三国志に登場する抜群に強い武将で、特に馬に乗って戦うのが得意でした。そして赤兎は一日に千里(400km)...
用語集

侍中とは 三国志では荀彧や馬良が就任

侍中じちゅうは中国の官職です。元々は皇帝の身辺に仕えて雑用をこなす係で、身分はさほど高いものではありませんでした。皇帝の衣服から乗り物、果てはたん壺の管理までしていたと記録されています。前漢の武帝の時代に、孔子の子孫である孔安国こうあんこく...
用語集

「泣いて馬謖を斬る」とは 諸葛亮と馬謖の関係性について

「泣いて馬謖ばしょくを斬る」とは、三国志の故事を元にした言葉です。「目をかけてきた優秀な部下が罪を犯したが、規律を守り、公正さを保つために、やむなく厳罰を与える」という意味です。これは蜀の諸葛亮が、部下の馬謖を処刑したことから生まれています...