電子書籍『正史に基づく三国志 蜀志篇』をkindle storeにて販売しています

電子書籍『正史に基づく三国志 蜀志篇へん』を、Amazonのkindle storeにて、販売開始しました。 これは三国志に登場する蜀しょくという国を作り、支えた人物たちについて書いた本です。 三国志は二つあり、まず蜀や晋しんに仕えた陳...
戦国時代

榊原康政 徳川家康に仕えて文武に活躍し、四天王に数えられた名将

榊原さかきばら康政は徳川家康に仕えて活躍した武将です。 元は低い身分の生まれだったのですが、子供のころに才能を見込まれ、家康に抜擢されました。 その後は戦場だけでなく、政務や行政の方面でも活躍しており、多才な人物でした。 それゆえに重...
戦国時代

酒井忠次 四天王筆頭とされ、家康を支えた名臣の生涯

酒井忠次ただつぐは徳川家康の重臣で、その創業を支えた功臣です。 軍事と外交に長けており、家康にとって重要な戦いで、何度も大きな手柄を立てています。 その優れた働きぶりから、四天王の筆頭として後世からも高く評価されました。 この文章では...
戦国時代

於大の方(伝通院) 乱世に翻弄された家康の母

於大おだいの方は徳川家康の母親です。 家康を生んでまもなく離縁され、他の豪族と再婚させられるなど、政略に翻弄された生涯を送った女性です。 その他にも、実家が信長に滅亡させられたり、家族を殺害されるなど、様々な苦難を経験してもいます。 ...
戦国時代

三河一向一揆 家臣団が分裂した家康三大危機の一つ

三河の一向一揆いっこういっきは、徳川家康が三河を掌握しようとした過程で発生した、大規模な宗教組織による反乱です。 この際に家康の家臣団が分裂し、一揆側に加担する者が続出したため、家康は思わぬ苦戦をしいられました。 これは1563年から翌...
戦国時代

石川数正はなぜ徳川家康の元を出奔したのか

石川数正かずまさは徳川家康に仕え、家老となっていた人物です。 酒井忠次と並び、家臣団の筆頭とも言える立場にありましたが、やがて家康の元を出奔し、豊臣秀吉の家臣になっています。 数正は徳川氏の中枢にあり、家康が幼少のころより忠実に仕えてい...
鎌倉時代

三浦胤義の果たせぬ復讐 承久の乱の一幕

三浦胤義たねよしは承久の乱において、後鳥羽上皇方について戦った武士です。 鎌倉幕府の重臣である三浦義村の弟であり、本来は鎌倉方につくべき筋目の存在でした。 そんな彼がどうして上皇方の戦力の中心として戦うことになったのか、この文章ではその...
平安時代

祇園精舎に鐘はなかった

『平家物語』の冒頭には「祇園ぎおん精舎しょうじゃの鐘の声、諸行無常の響ひびきあり」という、有名な一節があります。 この『祇園精舎』とは、仏教の創始者である釈迦が滞在することもあった、宗教施設でした。 釈迦とその弟子たちは、雨季の間は精舎...
鎌倉時代

鎌倉幕府・北条氏の政権はどうして不安定だったのか

鎌倉幕府は日本において、初の武家政権を誕生させましたが、その政情には常に不安定はさがつきまといました。 鎌倉幕府を成立させる上で主要な役割を果たした源氏嫡流、梶原かじわら氏、比企ひき氏、畠山氏、和田氏、三浦氏、安達氏は、みないずれも滅亡し...
三国志

国淵 屯田を成功させ、曹操から重用された人物

国淵こくえんは曹操に仕え、内政面で活躍した人物です。 戦乱が起きると遼東に避難し、そこでも学問に励んだことで名声を得ました。 やがて曹操に招聘され、屯田の発展に力を尽くし、反乱の鎮圧なども行っています。 有能な上に清廉だったので、やが...
三国志

涼茂 節義を備え、公孫度を諭した魏の高官

涼茂りょうぼうは字あざなを伯方はくほうといい、山陽さんよう郡昌邑しょうゆう県の出身です。 若いころから学問を好み、議論をする際にはいつも経典を根拠とし、それによって物事の判断をしました。 曹操に招聘されて司空掾えん(大臣の属官)となり、...