三国志

三国志

荀攸 曹操を中原の覇者に押し立てた名軍師の生涯

荀攸じゅんゆうは曹操の軍師として活躍した人物です。呂布や袁紹との戦いで優れた智謀を示し、曹操が中原を制する上で大いに貢献しました。自分の功績を誇らない慎ましやかな性格で、その点も曹操から高く評価されています。一方で、自分のことを語らなすぎた...
官職

黄門侍郎とは 三国志では荀攸や鍾繇が就任 水戸黄門とも関係あり

黄門侍郎こうもんじろうは中国の官職です。皇帝の側近として、勅命を諸官に伝達する役目を担っていました。「黄門」は宮中の門のことで、秦や漢の時代には、黄色く塗られる習慣があったことから、この名称がつけられています。そして皇帝の侍郎(側近)は宮中...
用語集

河南尹とは 三国志では夏侯惇や司馬芝が就任

河南尹かなんいんは地域名であり、官職名でもあります。後漢の首都・洛陽らくようがある地域なので、他と差別化するために「尹いん」が使われています。行政単位としては、郡と同じ規模です。この地域を担当する行政長官もまた、河南尹と呼ばれました。郡を統...
用語集

三顧の礼とは

三顧の礼は、三国志に登場する劉備が、諸葛亮を三度も訪ねて面会し、彼を軍師として迎えた故事から生まれた言葉です。当時、劉備は左将軍という高い地位についており、戦乱の中で活躍し、天下に名を知られた英傑でした。これに対し諸葛亮はまだ無名で、友人な...
用語集

太守とは

太守たいしゅは中国の官職です。秦しんの時代に設置された郡守ぐんしゅが元になっており、郡という行政単位を統治するのがその役割です。当時、郡守は行政のみを担当しており、軍事は郡尉ぐんいが担当していました。秩禄は二千石せきで、丞相じょうしょう(首...

魯粛 孫権を帝王にしようと図った、剛毅な人物の生涯

魯粛ろしゅくは孫権に仕え、帝王になるように勧めた人物です。曹操に攻められた際には、周瑜とともに抗戦を主張し、戦いを勝利に導きました。その後は荊州における呉の勢力の確立に尽力し、孫権が皇帝になるための道を切り開きます。一方では劉備への支援を積...

黄蓋 赤壁の戦いを勝利に導いた、知勇兼備の武将の生涯

黄蓋こうがいは孫堅・孫策・孫権の三代に仕えた呉の宿将です。武勇と智謀に優れ、問題が多い地域の統治もこなせるなど、多彩な能力を持っていました。特に赤壁の戦いでは、火計を進言して曹操の大軍を打ち破る契機を作り出しています。この文章では、そんな黄...
用語集

「人中の呂布、馬中の赤兎」とは

人中の呂布、馬中の赤兎せきととは、「人の中には呂布という傑出した勇者がおり、馬の中には赤兎という天下の名馬がいる」という意味です。呂布は三国志に登場する抜群に強い武将で、特に馬に乗って戦うのが得意でした。そして赤兎は一日に千里(400km)...

馬良 「白眉もっともよし」と称賛された、誠実な秀才の生涯

馬良ばりょうは劉備に仕え、外交官や側近として活動した人物です。字あざなを季常きじょうといい、荊州の襄陽じょうよう郡宜城ぎじょう県の出身でした。187年に誕生しています。【許昌に設置された馬良像】馬氏の五常馬氏には馬良を含む五人の兄弟がおり、...
用語集

侍中とは 三国志では荀彧や馬良が就任

侍中じちゅうは中国の官職です。元々は皇帝の身辺に仕えて雑用をこなす係で、身分はさほど高いものではありませんでした。皇帝の衣服から乗り物、果てはたん壺の管理までしていたと記録されています。前漢の武帝の時代に、孔子の子孫である孔安国こうあんこく...