徳川

織田

徳川家康はいかにして井伊直政を育成したか

優れた戦国大名の元には優れた人材が集うものですが、最終的に覇者となった徳川家康にも、優れた家臣たちが仕えていました。その中でも本多忠勝・榊原《さかきばら》康政・酒井忠次・井伊直政は「四天王」と呼ばれ、特に秀でた能力を持っていたことで知られて...
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徳川家康はどうして小牧・長久手の戦いで羽柴秀吉と互角に渡り合えたのか?

徳川家康は1584年、織田信雄とともに羽柴秀吉に戦いを挑みました。この時の戦力は、徳川・織田連合軍が3万、羽柴軍が10万で、大きな差が開いていました。にも関わらず、家康は小牧・長久手の戦いで勝利し、秀吉と正面から戦いながらも、敗退しなかった...
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比叡山は三度焼かれる – 織田信長に至る、比叡山焼き討ち事件の経緯について

比叡山・延暦寺は織田信長に焼き討ちを受けたことで知られていますが、武家との抗争はこれが初めてではなく、三度も主要な建物が焼失する事件が発生しています。比叡山焼き討ち事件は、場所が寺院であるだけに、刀や槍を持った武士たちが、無力な僧侶たちを一...
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滝川一益 信長の軍団長として活躍した、知勇兼備の名将の生涯について

滝川一益(かずます)は織田信長に仕え、その重臣として活躍した人物です。戦闘に強く、調略や外交もこなせる優れた武将で、主に伊勢(三重県)方面の攻略で活躍しました。やがて大名になり、関東を統括する軍団長に任命されるほどに出世しますが、信長が本能...
戦国時代

本多忠勝 「天下無双」と呼ばれた戦国最強の武将の生涯

本多忠勝は幼いころから家康に仕え、生涯を通じて忠義を尽くし、数多くの戦場で活躍した武将です。家康の家臣の中でも特に優れた者を指す「徳川四天王」のひとりに数えられ、天下統一の達成に大いに貢献しています。また、織田信長や豊臣秀吉といった時の権力...
戦国時代

武田信玄はどうして三方ヶ原の戦いで徳川家康に圧勝できたのか?

1572年、京への上洛を目指す武田信玄は、遠江(静岡県西部)の三方ヶ原(みかたがはら)で徳川家康と織田信長の連合軍と戦い、これに圧勝しました。これによって信玄は東海方面での優位を確定させ、家康と信長を強く圧迫し、窮地に陥れています。しかし信...
戦国時代

徳川家康 将軍となって江戸幕府を開いた男の生涯

徳川家康は三河(愛知県東部)の小領主から身を起こし、織田信長と同盟を結んで勢力を伸ばした人物です。子どもの頃に人質になったり、武田信玄に苦戦したり、豊臣秀吉に臣従したりと数多くの苦難を経験しましたが、最終的には天下を制しています。家康が開い...
戦国時代

加藤清正 熊本城を築いた「清正公さん」の生涯について

加藤清正は豊臣秀吉に仕え、肥後(熊本県)の大名になった武将です。軍事だけでなく財務や内政、築城も得意としており、肥後の発展に大いに貢献しました。民衆からの支持を受けて死後に神格化され、「清正公(せいしょこ)さん」と呼ばれて親しまれ、今でも信...
戦国時代

井伊直政 赤備えを率いて活躍した「井伊の赤鬼」の生涯について

井伊直政は徳川家康に仕え、四天王のひとりに数えられた名臣です。軍事だけでなく、調略や外交にも秀で、家康の天下統一に大いに貢献しました。やがては若くして家康の筆頭家臣の地位につき、井伊家をおおいに繁栄させてもいます。しかし関ヶ原の戦いで負傷し...
戦国時代

今川氏真 父・義元の死後に全てを失うも、しぶとく生き延びた武家貴族の生涯について

今川氏真(うじざね)は「海道一の弓取り」と言われた東海道の大名・今川義元の嫡子です。父が織田信長に討たれた後、9年ですべてを失って大名としての今川氏を滅ぼしてしまいました。その後はかつて父の家臣だった徳川家康の元で生きのび、子どもや孫は旗本...