戦国時代

戦国時代

北条氏康はどうして河越夜戦で上杉憲政や足利晴氏の大軍に勝利できたのか?

戦国時代に関東で勢力を広げていた北条氏康は、1546年に河越城を8万という大軍に包囲され、危機に陥ります。これは関東管領の上杉憲政や、古河公方の足利晴氏が、北条氏討伐のために各地の諸侯に呼びかけ、兵力を結集した結果です。対する北条氏の兵力は...
戦国時代

毛利元就はどうして厳島の戦いで陶晴賢(隆房)に勝利できたのか?

毛利元就は1555年に厳島で陶晴賢(すえはるかた)の大軍と戦い、これを討ち破りました。元就はこの時、晴賢の4分の1程度の戦力しか持っていませんでしたが、巧みな戦術によって勝利しています。この戦いをきっかけに毛利氏は飛躍し、やがて元就は中国地...
戦国時代

武田信玄(晴信) 戦国最強の軍団を作り上げた「甲斐の虎」の生涯について

武田信玄は甲斐(山梨県)を拠点として周辺の諸国に勢力を伸ばし、一大強国を作り上げた戦国大名です。軍事や調略、内政や家臣団の統率にも優れており、武田氏を戦国最強と呼ばれる軍団に育て上げました。上杉謙信と川中島で何度も戦火を交えたことでも知られ...
織田

浅井長政はどうして織田信長を裏切って朝倉義景に味方したのか?

北近江(滋賀県)の大名・浅井長政は織田信長と同盟を結び、京への上洛に協力しました。しかし信長が越前(福井県)の朝倉義景を攻めたことをきっかけに決裂し、裏切って敵に回っています。そして石山本願寺や武田信玄と手を結んで包囲網を形成し、信長を大い...
戦国時代

徳川家康 将軍となって江戸幕府を開いた男の生涯

徳川家康は三河(愛知県東部)の小領主から身を起こし、織田信長と同盟を結んで勢力を伸ばした人物です。子どもの頃に人質になったり、武田信玄に苦戦したり、豊臣秀吉に臣従したりと数多くの苦難を経験しましたが、最終的には天下を制しています。家康が開い...
戦国時代

加藤清正 熊本城を築いた「清正公さん」の生涯について

加藤清正は豊臣秀吉に仕え、肥後(熊本県)の大名になった武将です。軍事だけでなく財務や内政、築城も得意としており、肥後の発展に大いに貢献しました。民衆からの支持を受けて死後に神格化され、「清正公(せいしょこ)さん」と呼ばれて親しまれ、今でも信...
織田

柴田勝家 信長の筆頭家老として活躍した猛将の生涯について

柴田勝家は戦国時代に織田信長の重臣として活躍した武将です。「日本で最も勇猛果敢」と評されたほどに戦場での働きが優れていました。信長の父・信秀の代から織田氏に仕えていましたが、一時は信長と敵対したため、用いられなかった時期もあります。しかし天...
戦国時代

井伊直政 赤備えを率いて活躍した「井伊の赤鬼」の生涯について

井伊直政は徳川家康に仕え、四天王のひとりに数えられた名臣です。軍事だけでなく、調略や外交にも秀で、家康の天下統一に大いに貢献しました。やがては若くして家康の筆頭家臣の地位につき、井伊家をおおいに繁栄させてもいます。しかし関ヶ原の戦いで負傷し...
織田

茶々(淀殿) 豊臣秀頼を生んだ女性の生涯について

茶々(ちゃちゃ)は豊臣秀吉の妻となって秀頼を生み、やがて豊臣家の実権を握った女性です。浅井氏と織田氏の一族に生まれ、戦乱の中で父と母を失いました。そして自身も大坂の陣という大戦に敗れ、豊臣家を滅亡に導いてしまっています。この文章では、そのよ...
戦国時代

今川氏真 父・義元の死後に全てを失うも、しぶとく生き延びた武家貴族の生涯について

今川氏真(うじざね)は「海道一の弓取り」と言われた東海道の大名・今川義元の嫡子です。父が織田信長に討たれた後、9年ですべてを失って大名としての今川氏を滅ぼしてしまいました。その後はかつて父の家臣だった徳川家康の元で生きのび、子どもや孫は旗本...