戦国時代

大谷吉継 石田三成との友情に殉じた義将の生涯について

大谷吉継は関ヶ原の戦いで西軍の首謀者となり、決戦場でも力を尽くして戦い抜いた武将です。 吉継はもともとは徳川家康の実力を高く評価してその味方になっており、石田三成にも家康に恭順するようにと勧めていました。 しかし三成の家康打倒の...
2018.04.18
戦国時代

長宗我部盛親 土佐を失い、大坂の陣に再起をかけた不屈の武将の生涯について

長宗我部盛親は土佐(高知)の大名・長宗我部元親の4男でしたが、父に強く推されてその後継者となります。 しかし父の死後、関ヶ原の戦いで西軍についてしまい、何もできないまま敗者となって領地を失います。 その後は長らく浪人生活を送りま...
2018.04.18
戦国時代

後藤又兵衛(基次) 黒田家に仕え、大坂の陣で散った豪傑の生涯について

後藤又兵衛は黒田官兵衛・長政親子に仕え、数多くの戦場で勇名を馳せた武将です。 格闘能力に優れ、敵軍の動きを見抜く戦術眼を備え、時には兵器を開発することもあるなど、戦いに関する豊富な能力を備えていました。 やがてはその功績によって...
2018.04.18
戦国時代

上杉謙信(長尾景虎) 軍神と呼ばれ、信義に生きた武人の生涯について

上杉謙信は毎年のように各地に出兵し、その生涯の多くを戦場で過ごした生粋の武人です。 後世から「軍神」と呼ばれるほど優れた武将でしたが、その行動原理は他の戦国武将たちと異なっており、際立った個性の持ち主でもありました。 領土欲が乏...
2018.04.18
戦国時代

川中島の戦い 武田信玄と上杉謙信、宿敵同士の決戦について

1561年、武田信玄は北信濃の川中島で四度目の対峙を迎え、この時にはじめて上杉謙信と決戦を行いました。 両者は長年に渡って抗争を続けており、宿敵と呼べる間柄でした。 この文章では、そんな両者の最初で最後となった、正面きっての大規...
2018.04.18
戦国時代

真田幸村はどうして大坂城の南に真田丸を築いたのか?

真田幸村は「大坂冬の陣」の戦いにおいて、大坂城の南に真田丸という出城を築きました。 そしてそこを拠点として防戦にあたり、徳川方の攻撃を防ぎつつ、多大な損害を与えることに成功します。 この文章では真田丸と、それをめぐる戦いの様相に...
2018.04.18
織田

明智光秀はどうして本能寺の変で織田信長を討ったのか?

明智光秀は低い身分から織田信長に引き立てられ、多くの領地や軍の指揮権を与えられた武将です。 しかしやがて光秀は謀反を起こし、京都の本能寺で織田信長を討ちました。 そして天下人になることを目指しますが、その野心は世から受け入れられ...
2018.04.18
織田

木下藤吉郎が豊臣秀吉を名のるまで

羽柴秀吉は関白になって豊臣秀吉を名のるようになり、天下人としての地位を手に入れました。 秀吉は元々は低い身分の出で、そこに至るまでの過程で何度も名前を変えています。 この文章では、秀吉の名前の変化とともに訪れた、彼の出世の道のり...
2018.04.19
織田

松平元康が徳川家康を名のるまで

征夷大将軍となり、幕府を開いて天下を制した徳川家康は、その生涯において何度も名前を変えています。 はじめは人に支配される立場から始まり、やがて独立し、三河の国主となるに従って、その名前も変遷していきます。 この文章では、家康の名...
2018.04.18
戦国時代

真田信幸(信之)は、どうして昌幸や信繁とは別の道を歩んだのか?

真田信幸は高名な昌幸の長男で、真田家を発展させつつ、長く存続させることに成功した人物です。 昌幸や弟の幸村(信繁)に比べるとさほど知られていませんが、彼もまた、優れた能力を備えて戦国の世を生き抜いたつわものです。 この文章では、...
2017.12.28