kenjo@管理人

王平 魏との戦いで活躍した、忠義と武勇を備えた蜀の将軍

王平おうへいは蜀に仕えて活躍した将軍です。街亭がいていで馬謖ばしょくが敗れた際に、慌てずに軍勢を維持し、敗勢を支えて魏の攻勢を防ぎました。また、攻めこんで来た張郃ちょうこうや曹爽そうさいを撃退するなど、主に防衛戦において戦功を立てています。...

馬忠 蜀の南方を統治した、威厳と恩愛に満ちた将軍

馬忠ばちゅうは劉備や劉禅に仕えて活躍した人物です。北伐に参加しただけでなく、南方で起きた異民族の反乱の鎮圧にも活躍しました。そして慈愛を備えた統治を行うことで、異民族をなつかせ、死後には彼らから祭られる存在にもなっています。この文章では、そ...
天皇家

天皇の称号の由来 いつから、どうして用いられるようになったのか

古代の日本(倭わ国)に存在していたのは天皇ではなく、中国から封じられた王たちでした。福岡で『漢委奴国王かんのわのなのこくおう』という金印が見つかっていたり、卑弥呼ひみこが魏ぎから『親魏倭王しんぎわおう』という王号をもらっていたことから、それ...

李恢 馬超を勧誘し、蜀の南方を統治した将軍

李恢りかいは蜀に仕え、馬超の勧誘や南方の統治に活躍した人物です。蜀の南方は異民族が多く、反乱がたびたび発生しましたが、李恢はその鎮圧に成功し、地位を高めていきました。異民族の成都への移住を促進し、物資を貢納させて蜀の財政を改善することにも寄...

張裔 孫権の追跡を逃れ、諸葛亮の副官を務める

張裔ちょうえいは蜀に仕えて活躍した文官です。南方で反乱を起こした雍闓ようがいに捕らわれ、呉に送られましたが、やがて諸葛亮の要請によって帰還しています。その際に孫権に才能を認められ、留められそうになりましたが、船を急がせて無事に蜀に戻りました...

李厳(李平) 文武両道なれど、偽りを述べて諸葛亮に処罰される

李厳りげんは蜀に仕えて活躍した、文武両道の人物です。諸葛亮に次ぐ地位を占め、重要な役割を任されました。しかし性格に難があり、欲深で自尊心が強く、人と協調することができない性質でした。やがて北伐の際に、食糧輸送に失敗しますが、責任逃れのために...

楊儀 諸葛亮の側近となるも、魏延と争い、舌禍によって身を滅ぼした文官

楊儀ようぎは蜀に仕えた文官です。並外れた事務処理能力を備えており、北伐の際に諸葛亮から重用されました。諸葛亮の死後は、険悪な関係にあった魏延を葬り、蜀の国政の中心に座ろうとしましたが、性格に難があったために地位を失います。それに不満を抱き、...
天皇家

元号(年号)の歴史と改元の仕組み

元号の制度はもともと中国で定められたもので、その起源は、前漢の武帝(在位 紀元前141-87年)の時代にさかのぼります。武帝は紀元前115年に「建元」という元号を作り、これを過去である紀元前140-135年に割り当てました。建元は「元号を建...

黄権 劉備に仕えて重用されるも、魏に降伏した将軍

黄権こうけんは劉璋や劉備、曹丕に仕えた人物です。優れた見識と指揮能力を備えており、劉備から方面軍を任されるほどに重用されました。しかし劉備が夷陵いりょうの戦いで敗れたために退路を失い、やむなく魏に降伏しています。そこで曹丕や司馬懿からも高く...

楊洪 忠義と公正さを備えた蜀の良臣

楊洪ようこうは、劉璋や劉備に仕えた人物です。私心を抑え、公のために尽くせる性格の持ち主で、内政や反乱への対処に活躍しました。そして諸葛亮から相談を受けることが多く、信頼されていたことがうかがえます。この文章では、そんな楊洪について書いていま...