kenjo@管理人

天皇家

天皇家に姓・苗字がない理由

天皇家には姓、苗字といったものがありません。今では姓は誰でも持っているありふれたものですが、古代においては特別な意味を持っていました。姓はかつて、どのような職業を世襲しているか、どのような一族に属しているのかを現す称号だったのです。そして天...
織田

織田信長が本能寺の変で明智光秀に討たれたワケ

本能寺の変は、天下統一を目前にしていた織田信長が、重臣の明智光秀に討たれた事件です。この事件の原因には様々な説が提唱されていますが、今もはっきりとしていません。この文章では、晩年の信長の人格と、家臣への態度の変化こそが光秀の謀反を引き起こし...
織田

中川清秀 賤ヶ岳で奮戦した、引くことを知らぬ猛将の生涯

中川清秀《きよひで》は戦国時代に活躍した猛将です。元は一介の小領主に過ぎませんでしたが、羽柴秀吉と明智光秀の決戦となった「山崎の戦い」などで活躍し、12万石の大名にまで出世しています。清秀は数多くの戦場で、引くことを知らぬ勇敢な戦いぶりを見...
織田

前田玄以 信長や秀吉に仕え、京都所司代を務めた名奉行の生涯

前田玄以げんいは織田信長や豊臣秀吉に仕え、京都の奉行として活躍した人物です。戦乱の時代はとかく武勇に優れた人物が目立ちますが、為政者にとっては、すぐれた行政官もまた必要であることに変わりはありませんでした。このために玄以は、信長や秀吉にその...

森蘭丸 信長に寵愛を受け、本能寺の変で散った美少年の生涯

森蘭丸らんまるは織田信長に小姓こしょうとして仕え、寵愛を受けたことで知られる人物です。容姿が美しかったと言われていますが、それだけでなく、蘭丸は才知に秀でており、細やかな気遣いができる性格でした。そして信長に対する忠誠心が厚く、このために若...
斎藤

稲葉一鉄(良通) 戦乱の世を頑固に生き抜いた一徹者の生涯

稲葉一鉄《いってつ》は戦国時代に斎藤道三や織田信長に仕え、戦場や外交で活躍した武将です。「一鉄」は出家した際の号で、「頑固一徹」の語源になったと言われています。そのように言われるだけのことはあり、硬骨な人物で、戦国時代の流れを変えた本能寺の...
春秋

管仲と鮑叔 才能がある人と、それを認めて支援した人の話

紀元前7世紀ごろ、斉《せい》という国に、才能はあるものの失敗も多かった、管仲《かんちゅう》という男がいました。【管仲の肖像画】彼は若い頃からずっと、鮑叔《ほうしゅく》という男と親しく付き合っていました。この鮑叔は、管仲に傑出した才能があるこ...
蒲生

岡左内(岡野定俊)、蓄財に励むも守銭奴にあらず

戦国時代には様々な個性をもった武将たちが存在していますが、岡左内さないもまた、際だった特徴を持った人物でした。どのような個性があったのかというと、左内は武将としては珍しく、蓄財や利殖に励むなど、大変にお金を好んでいました。それでいて守銭奴で...

堀秀政が「名人」と呼ばれたワケ

堀秀政《ひでまさ》は織田信長や豊臣秀吉に仕え、その才能を愛された武将です。「名人」という異名で呼ばれたことでも知られているのですが、この文章では秀政の生涯や、異名の由来を紹介していきたいと思います。美濃で生まれ、織田信長に取り立てられる秀政...

西郷隆盛と月照はどうして薩摩沖に入水したのか?

西郷隆盛は1858年に、月照《げっしょう》という僧と一緒に薩摩沖の海に飛び込み、自害を図りました。これは両者がともに、京で政治活動を行っていたことに大元の原因があります。西郷は薩摩藩の下級藩士の出身でしたが、高い志を抱いており、ペリーの来航...