三国志

費禕 董允らとともに蜀を支えるも、暗殺された三代目の宰相

費禕ひいは蜀に仕え、三代目の宰相になった人物です。優れた理解力や記憶力を備えており、政務を処理する能力が、人なみ外れて秀でていました。このため諸葛亮に引き立てられ、やがて大将軍の地位につき、蜀の軍事と政治を担います。しかし人に寛容で、警戒心...

蒋琬 諸葛亮の後を継いだ、蜀の二代目宰相の生涯

蒋琬しょうえんは諸葛亮の指名を受け、蜀の宰相を務めた人物です。忠実かつ公正で、人の上に立つのにふさわしい人格を備えていました。むやみに軍を動かさず、国内に安定をもたらすことに努め、蜀の勢力を維持します。やがては諸葛亮と同じく、涼州方面から魏...
三国志

曹彰 武勇に秀でるも、才能を発揮しきれなかった曹操の子

曹彰そうしょうは字あざなを子文しぶんといい、曹操の子供として誕生しました。曹丕が兄で、曹植が弟です。生年は不明となっています。若い頃から弓術や馬術が得意で、筋力が人並み外れて優れていました。そして猛獣と格闘することができ、険しい道も平然と登...

魏延 諸葛亮に従って活躍するも、馬岱に討たれた武将の生涯

魏延ぎえんは劉備に仕えて活躍した武将です。益州の攻略や北伐で戦功を立て、出世していきした。しかし性格に難があり、同僚といさかいを起こし、さらに諸葛亮の死後には反乱まがいの騒動を引き起こします。このため、やがては部下にも見捨てられ、孤立して馬...
三国志

曹沖 曹操の後継者になりかけた、早熟な天才少年

曹沖そうちゅうは字あざなを倉舒そうじょといい、曹操の子供として196年に誕生しました。幼い頃から聡明で、理解力が秀でており、五、六才の頃には大人と同じように頭を働かせることができるようになっていました。早熟の、天才的な少年だったのだと言えま...
三国志

李典 一族を率いて曹操に仕えた、文武両道の将軍

李典りてんは曹操に仕えた将軍で、政治家でもありました。学問を好む性格で、兵を指揮する際には後方支援の任務が多かったのですが、優れた洞察力と判断力を備えていたため、前線任務に携わるようになります。そして各地で戦功を立て、将軍位と爵位を得るほど...
用語集

大司農とは 三国志では梁習や司馬芝が就任

大司農だいしのうは中国の官職です。国家財政を担当する大臣で、前漢の時代に設置されました。もとは治粟内史ちぞくないしという職名でしたが、紀元前104年に、武帝が大司農に改称しています。【大司農の名称を定めた武帝】穀物、金属、物産、織物などを広...
三国志

郭嘉 神のごとき智謀を備え、曹操の理解者だった軍師の生涯

郭嘉かくかは曹操に仕えて活躍した軍師です。呂布や袁氏との戦いにおいて優れた策を立て、曹操を勝利に導きました。情勢の見通しが常に的確で、孫策の死を予言したことでも知られています。曹操は郭嘉に後事を託すつもりでしたが、若くして亡くなったために、...
三国志

典韋 曹操を守って戦死した、怪力無双の勇将

典韋てんいは曹操に仕え、親衛隊長として活躍した武将です。並外れた腕力を備え、戟ほこをふるって敵をなぎ倒し、戦場で活躍しました。強いだけでなく、忠誠心が強く、慎み深い性格で、曹操から信頼されます。宛えんで曹操が張繡しゅうに敗れた際には、曹操が...
用語集

臥龍とは

臥龍がりょうとは、「眠れる龍」を意味する言葉です。まだ無名だったころの諸葛亮が、この号で呼ばれていました。【臥龍と呼ばれた諸葛亮】諸葛亮にこの号をつけたのは、龐徳公ほうとくこうという人物です。荊けい州の襄陽じょうよう郡の人で、人物鑑定を得意...