蒋琬は諸葛亮の指名を受け、蜀の宰相を務めた人物です。
忠実かつ公正で、人の上に立つのにふさわしい人格を備えていました。
むやみに軍を動かさず、国内に安定をもたらすことに努め、蜀の勢力を維持します。
やがては諸葛亮と同じく、涼州方面から魏に攻撃をしかけることにしますが、病に倒れてしまい、実施することはできませんでした。
この文章では、そんな蒋琬の生涯を書いています。
【蒋琬の肖像画】
零陵に生まれる
蒋琬は字を公琰といい、荊州の零陵郡、湘郷県の出身でした。
生年は不明となっています。
二十歳の時に、従兄弟の劉敏とともに名を知られる存在になり、世に出ています。
県の長となるも、劉備に処罰されそうになる
やがて蒋琬は、荊州で勢力を伸ばした劉備に仕えます。
そして州の書佐(文書の管理官)として随行し、蜀に入りました。
間もなく広都県の長に任命されましたが、ある時、劉備が遊覧のついでに、広都を訪問したことがありました。
すると蒋琬は仕事を放置し、しかも泥酔していたので、劉備は大変に腹を立て、蒋琬を処罰しようとします。
その時、諸葛亮が劉備にとりなしをしました。
「蒋琬は国家を担う大器です。
百里四方(県)程度の土地を収めるのが、ふさわしい人物ではありません。
彼の行政は住民を安定させることを根本とし、外見を飾ることを重視していないのです。
願わくば、ご主君にはその点をご推察いただきたく存じます」
劉備は諸葛亮を尊重していましたので、彼の意見にそって処罰を加えることはせず、その場で免官をするにとどめました。
このあたりは、劉備の軍師を務めた龐統にも同様の挿話があり、両者はよく似た性質を持っていたようです。
世の中には希ですが、大きな仕事を担当しないと、才能を発揮できない人もいるようです。
夢を占う
蒋琬は取り調べを受けた後、牛の頭が門の前に転がっていて、血を流しているという夢を見ました。
この夢に不快感を覚えた蒋琬は、占い師の趙直を呼び、相談をします。
趙直は夢の内容を聞くと、次のように言いました。
「夢で血を見るのは、政治に明るい性質を持っていることを意味しています。
牛の角と鼻とで『公』の字の形となります。
ですのであなたの位は、必ずや公にまで到達されるに違いありません。
この夢は大吉の証であると言えます」
公は臣下として最上の位を表しており、趙直は、蒋琬が相当に立身するだろうと見立てたのでした。
この占いは正しかったのか、ほどなくして蒋琬は什邡の県令に任命され、公務に復帰しています。
中央に召され、地位を得る
やがて劉備が漢中王になると、蒋琬は中央に召喚され、尚書郎(政府の官僚)となっています。
そして223年には諸葛亮が丞相(首相)に就任し、幕府を開きました。
その際に蒋琬は召し出され、東曹掾として幕僚の一人になっています。
こうして蒋琬は蜀の全権を担った諸葛亮の、側近として活動することになりました。
茂才の推挙を断るも、諸葛亮にたしなめられる
その後、蒋琬は茂才(優れた才能を持つ人物を推薦する仕組み)に推挙されましたが、他の人物に譲り、受けようとしませんでした。
すると諸葛亮は、蒋琬を諭して次のように告げました。
「近しいものの期待を裏切り、推挙の恩徳を無視し、その結果、人民に害を与えるのは、人々からの同意を得られない行いである。
君は遠くの人にも、近くの人に対しても、辞退する理由を納得させることはできまい。
君は過去の実績を踏まえて推挙されたことを世に示し、この選抜が妥当であり、重い意味を持つことを、明らかにするべきである」
これを受けて蒋琬は考えを改め、推挙を受け入れて参軍(軍事顧問)に昇進しています。
このあたりの流れから、蒋琬の人格や能力が、諸葛亮から高く評価されていたことがうかがえます。
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