上杉

戦国時代

太田資正 軍用犬を用い、北条氏と戦い続けた知将の生涯

太田資正《すけまさ》は戦国時代に武蔵(埼玉・東京あたり)で活動し、勢力を拡大する北条氏への抵抗を続けた武将です。 居城を失い、息子たちに裏切られながらもしぶとく戦い続け、最終的には北条氏の滅亡を見届けることになりました。 この文章では、...
戦国時代

長野業正 武田信玄に勝利し、真田幸隆と親交を持った武将の生涯

長野業正なりまさは戦国時代に上野こうずけ(群馬県)において、強勢を誇っていた武将です。 武田信玄の侵攻を防ぐ一方で、真田幸隆《ゆきたか》と親交を持っていた、と言われています。 その精強さから「上州の黄班《おうはん》(虎)」という異名を持...
蒲生

岡左内(岡野定俊)、蓄財に励むも守銭奴にあらず

戦国時代には様々な個性をもった武将たちが存在していますが、岡左内さないもまた、際だった特徴を持った人物でした。 どのような個性があったのかというと、左内は武将としては珍しく、蓄財や利殖に励むなど、大変にお金を好んでいました。 それでいて...
戦国時代

直江兼続は奸臣か、それとも名宰相か?

直江兼続は上杉景勝に仕え、家老として上杉氏の活動を取り仕切った人物です。 領内の反乱を鎮圧し、開墾や特産品の交易によって領地を発展させるなど、多方面に渡って活躍しました。 また、徳川家康に「直江状」と呼ばれる挑戦状を送り、関ヶ原の戦いが...
戦国時代

北条氏康はどうして河越夜戦で上杉憲政や足利晴氏の大軍に勝利できたのか?

戦国時代に関東で勢力を広げていた北条氏康は、1546年に河越城を8万という大軍に包囲され、危機に陥ります。 これは関東管領の上杉憲政や、古河公方の足利晴氏が、北条氏討伐のために各地の諸侯に呼びかけ、兵力を結集した結果です。 対する北条氏...
戦国時代

上杉謙信(長尾景虎) 軍神と呼ばれ、信義に生きた武人の生涯について

上杉謙信は毎年のように各地に出兵し、その生涯の多くを戦場で過ごした生粋の武人です。 後世から「軍神」と呼ばれるほど優れた武将でしたが、その行動原理は他の戦国武将たちと異なっており、際立った個性の持ち主でもありました。 領土欲が乏しく、信...
戦国時代

川中島の戦い 武田信玄と上杉謙信、宿敵同士の決戦について

1561年、武田信玄は北信濃の川中島で四度目の対峙を迎え、この時にはじめて上杉謙信と決戦を行いました。 両者は長年に渡って抗争を続けており、宿敵と呼べる間柄でした。 この文章では、そんな両者の最初で最後となった、正面きっての大規模な対戦...