駿府の包囲
江戸でそのような騒ぎになっていることも知らず、正雪は7月25日に駿府に到着していました。
そして茶屋町の梅屋太郎右衛門方に宿泊し、後からやってくるはずの同志たちを待つことにします。
正雪が来るはずのない同志を待っている間に、江戸から早駕籠に乗った上使(幕閣の送った使者)がやって来て、駿府城で諸役人たちと緊急の協議を行いました。
その影響で、「キリシタンの詮議が行われるのだ」とか、「重大な犯罪者の捜索が行われるのだ」といった評判が立ちました。
それを聞いた宿の主人は、もしやうちに泊まっている武士や僧たちがその対象なのでは、と思い当たり、駿府の町奉行所に訴え出ています。
これによって正雪たちの居場所が知られ、町奉行は逮捕のために動き出します。
幕府は正雪の口から謀反人たちの名を聞き出すため、なるべく生け捕ろうと画策しました。
まずは逃亡を防ぐため、宿の周囲を大勢で包囲します。
この結果、正雪たちは袋の鼠となり、逃げおおせる手段はなくなりました。
町奉行との駆け引き
この頃には陰謀が露見したことに気づきつつありましたが、正雪は落ち着いた態度を保ち、「我々は紀州大納言・徳川頼宣の家臣である」と称し、宿に滞在し続けていました。
頼宣の家臣であれば、幕府の役人でもそう簡単に手出しができず、まだ正雪たちの正体が確定していないため、駿府の町奉行・落合小平次は、慎重に対応せざるを得ませんでした。
落合は与力(奉行所の役人)を宿に派遣し、「ただいま奉行所では、江戸からやってきた手負いの者を探しており、旅人の傷を確認している。ついては落合宅まで出向いて、体を確認させてもらえまいか」と正雪たちに申し入れました。
これに対し、正雪は病気にかかっていることを理由に断り、宿で傷跡を確認するように、と返答します。
落合は「紀州殿の御家中の宿に、検視の者を遣わすのは遠慮したい。とにかく落合宅まで来られたし」と告げますが、正雪たちはその手には乗りませんでした。
正雪たちも、この頃には陰謀が発覚したことを確信しており、いっそのこと打って出て活路を開くべきでは、とはやる者もいましたが、正雪がこれを制し、宿にとどまり続けました。
正雪を呼び出すことに失敗した落合は、大勢の与力や同心を動員し、宿を包囲した上で、その内部へと侵入させました。
すると、中にいた正雪たち一行は、腰に大小の刀を指し、肌を脱いだ姿で姿を見せ、「見ての通り、手傷などどこにもない。よくご覧なされ」と声もたかだかに言い放ちました。
やがて正雪も奥の座敷から出てきます。
正雪は背が小さく、色白で、ひげは黒く、目がくりくりとしていて、額が狭く、唇が広かった、とその外見が記されています。
この時は羽二重を着て、脇差をつけ、杖をつき、いかにもくたびれた様子でした。
そして役人たちの前に進み出ると、「先頃からわずらわされて来たので、こうして家来どもに手傷があるかどうかをお目にかけることにした。怪しい者がいるだろうか?」と問います。
さらに「拙者は紀伊大納言殿の身内の者である。この仕置きは、拙者はともかく、大納言殿に対して失礼だとは思わぬか?」と、徳川頼宣の名前を出し、この追求を切り抜けようとしました。
しかし捕り手の代表である野木市右衛門が「ともかくも、度々申している通り、奉行の小平次の宅までおいでください。この上は問答無用です」と正雪に告げ、一歩も引かぬ構えを見せます。
これに対し、正雪は打ち笑いながら「さあらば乗り物にてまかり越すことにしよう。まずは支度をしなければなるまい」と言って、奥の座敷に引き下がりました。
正雪は宿に踏み込まれ、完全に追い詰められていましたが、なお落ち着き払っていました。
このことから、正雪が非常に肝の太い人物だったことがわかります。
正雪の計画はあえなく失敗しましたが、自分の最期を思い通りに迎えることについては、失敗しませんでした。
正雪の最期
正雪は「これからまかり出るので、門の前を開けてくだされ」と役人たちに呼びかけます。
そして、奥座敷から物音が盛んに聞こえてきたので、乗り物が担ぎ出されるのだろうと思い、役人たちは待ち構えました。
しかし、やがて座敷は鎮まり、何も聞こえてこなくなります。
かすかに太刀をつかう音が聞こえたので、役人たちが踏み込んでみると、正雪たちはみな、すでに自害を終えていました。
ただ一人、介錯役を務めた僧・廓然だけが生き残っており、自害をする直前に捕縛されています。
正雪の死骸の側には書き置きがあり、そこに陰謀の主旨が述べられていました。
正雪の遺言
ただいまの天下の制法は無道であり、上下ともに困窮している。
これを諫めようとした者の意見は受け入れられず、忠義の志も空しくなった。
これは天下の大いなる嘆きであり、上様(将軍)のためによろしくない。
なので不肖ながらも、私が天下を困窮させている幕閣の酒井忠勝らを追放してやろうと思って人数を集め、はかりごとをめぐらして、天下の長久をもたらす政治を行おうと考えた。
紀伊大納言殿の名前を借りたのは、人を集めるための偽りである。
私は誰からも扶持(給料)を受け取っていない。
我が心底は天が照覧する如く、他に何もない。
申したいことはあまたあるが、時が急であるので、これだけを申し残しておく。
【次のページに続く▼】


