藤原秀郷(俵藤太) 平将門を討ち取った武人の生涯と、その子孫について

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秀郷のムカデ退治の伝説

歴史上の秀郷の事跡と系譜は、おおむね以上のようなものですが、それ以外にも、秀郷には怪物退治の伝説があります。

秀郷がある日、近江八景で知られる勢多せた唐橋からはしまでやってくると、橋の上に大蛇が横たわっていました。

両目が太陽のように光り、頭には二本の角が生え、口には鉄のような牙が生えていて、大変におそろしい姿をしています。

普通の人間であれば、その姿を見ただけで、逃げ出してしまうようなありさまでしたが、秀郷は怖れず、大蛇の上を荒々しく踏みつけて通行しました。

大蛇は驚いた様子を見せず、秀郷が去るまでじっとしています。

秀郷は後も振り返らずにどんどん歩んで行きますが、やがて秀郷の前に、小男が出て来て挨拶をしました。

「私はこの橋の下に2千年も住んでいますが、これまでにあなたのような勇気のあるお方はいませんでした。そこで、あなたを見込んでお願いがあります。実は私には、長年争っている宿敵がいるのですが、最近ではすっかり力の差がついてしまい、ひどい目に合わされています。ご迷惑とは思いますが、どうか弱い私を助けてはくれませんでしょうか?」と頼んできました。

秀郷は「よかろう。その願い、俺が引き受けてやろう」と承知し、小男に導かれて勢多の橋の方へと戻りました。

すると、小男は琵琶湖の水を二つに分け、秀郷をその中へと誘います。

そして湖の深くへと潜っていくと、やがて玉で飾った立派な門が見えてきて、その先には瑠璃るりを敷き詰めた庭がありました。

そこには花が咲きこぼれ、美しい朱色の高楼や、紫の屋根の御殿が建ち並んでいました。

御殿は金や銀で飾られ、華麗で壮大な作りで、秀郷はその姿に目を奪われます。

やがて小男はその中に入ると、間もなく引き返してきます。

するとその姿は、美しい装束を身につけ、冠をかぶった王者のものに変わっていました。

実はここは竜神の宮殿で、小男は竜神が化けた姿だったのです。

竜神は秀郷を中に案内し、そこで家来たちが酒宴を開いて秀郷をもてなしました。

そして夜が更けると、家来たちは「そろそろ敵が現れますぞ」と言い、恐れをなし始めます。

秀郷は五人張りの強弓と、太い矢を三本、かたわらに置き、「いつでも来るがよい」と言い放ち、怪物が出てくるのを待ち構えました。

やがて真夜中になると、激しく雨が降り、雷鳴がとどろき、二、三千とも見える松明たいまつが向かって来ます。

ずん、ずん、と地響きを立てながら、その怪物がやって来ますが、それは巨大なムカデの姿をしていました。

松明に見えたものは、怪物の左右の脚で、脚の先に炎がともっていたのでした。

いよいよ怪物が近づいて来たので、秀郷は弓を引き、矢を放ちます。

それは狙い通りに怪物の眉間にあたったものの、跳ね返されてしまいました。

さしもの秀郷も驚きましたが、「一本を射損じてしまったか。だがこの秀郷の強弓が通らぬはずがあるものか。次の矢で眉間を射通してくれよう」と言って、二の矢をつがえ、また眉間に矢を放ちます。

しかし、またしても矢は通らず、はじかれてしまいます。

さすがの秀郷も途方にくれますが、目をつむり、何か手段はないかと考えました。

すると「人の唾は、毒虫の弱点だ」と思い出し、矢の先に唾をつけ、またも眉間に向かって放ちました。

すると今度は、矢が見事に怪物の眉間を貫きます。

怪物は恐ろしいうなり声を上げ、地響きを立てて地面に倒れ込みました。

すると二、三千も灯っていた松明も、一度に消えてしまいます。

竜神や家来たちは大変に喜び、酒宴を開いて秀郷を大変にもてなしました。

そして帰る時には名刀と鎧、絹と米俵、さらに銅の釣り鐘を土産にと秀郷に贈っています。

竜神は秀郷に厚く礼を述べると、「あなたの御子孫からは、きっと将軍になるような立派な人物が、たくさんお生まれになるでしょう」と告げました。

秀郷は都に戻る途中、鐘を三井寺に寄付し、後の品々は家に持って帰りました。

すると不思議なことに、絹はいくら切り取ってもなくならず、俵の米は、いくら取り出してもなくなりません。

そのため、秀郷はいくらでも立派な着物を作ることができ、米をたくさん倉に蓄えることができたので、財産家になりました。

そして、その俵にちなんで「俵藤太たわらのとうた」と呼ばれるようになります。

藤太とは、「藤原氏の長男」という意味です。

お話の意味

もちろんこの話はおとぎ話で、他にも竜神ではなく、お姫様が頼んできた、という話もあったりで、いくつかのバリエーションがあります。

秀郷は武勇に秀でており、それによって功績を立て、地位を得て財産を蓄え、子孫が繁栄しましたが、そのことが、この物語によって伝えられていたのでしょう。

史実かどうかはさておき、物語の伝達力と継承力は、なかなかに優れています。

怪物の眉間を射て倒した、というのは、将門が額を射ぬかれて倒されたことに、なぞらえられているのかも知れません。

ムカデの足に灯っていた二、三千の松明は、将門が率いていた軍勢を現している、とも解釈できるでしょう。

そして将門に脅かされていた竜神は、当時の朝廷を指しているのだと思われます。

俵藤太のもう一つの由来

秀郷が「俵藤太」と呼ばれたのは、田原たわら庄という土地を、将門を討伐した褒美として授けられ、そこに住んだからだとも言われています。

田原庄は近江にあったため、それゆえに蒲生氏など、秀郷の子孫だとされる家系が多くなったようです。

京都の宇治にも田原、宇治田原という地名があり、そのあたりまでが秀郷の領地だったと言われています。