楚漢戦争

韓信 劉邦に天下を取らせた国士無双の大将軍

韓信は劉邦に仕えて大将軍となり、楚漢戦争の勝敗を決定する重要な役割を担った武将です。 卓越した作戦能力を持ち、戦えば常に勝利をおさめ、国士無双(比べられる者がいないほど優れた者)と呼ばれるにふさわしい人物でした。 しかし劉邦が天...
2019.02.14
織田

今川義元 東海から天下をうかがった「海道一の弓取り」

今川義元は桶狭間の戦いにで織田信長に討たれ、その躍進のきっかけを作った人物として知られています。 言わば信長の引き立て役となってしまったわけですが、それまでは「海道一の弓取り」と呼ばれ、大きな勢力を築くことに成功した、優れた武将である...
2018.04.19
戦国時代

伊達政宗 戦国の終わりを生きた、奥羽の「独眼竜」

伊達政宗は戦国時代の末期に登場した武将で、奥羽(東北地方)を席巻し、伊達氏の最大勢力を築きました。 しかし政宗が活躍し始めた頃には、すでに豊臣秀吉という日本全国に影響を及ぼせる大勢力が登場しており、彼の野心はそういった天蓋からの制限を...
2018.04.19
戦国時代

長宗我部元親 土佐から四国統一を目指した「鳥無き島の蝙蝠」の生涯について

長宗我部元親は戦国時代に四国制覇の野望を抱いて活躍した武将です。 しかし四国全土を手の内に収めたかと思ったまさにその時、中央から強大な勢力の侵攻を受け、その達成を阻まれてしまいます。 元親は幾度も降伏勧告を受けましたが、天下を手...
2018.04.19
戦国時代

真田昌幸はどうして表裏比興の者と呼ばれたのか?

真田昌幸は有名な真田幸村の父親で、当人も優れた軍略家として知られた人物です。 しかし一方で「表裏比興(ひょうりひきょう)」の者、と評されたりもしています。 これは老獪なくわせ者、といった意味で、その才覚を褒めているような、嘲って...
2018.04.19
戦国時代

小早川秀秋はどうして関ヶ原の戦いで東軍に寝返ったのか?

小早川秀秋は関ヶ原の戦いにおいて西軍を裏切り、東軍の勝利を決定づけたことで知られています。 その一点でのみ歴史に名を残している、と言ってもよいでしょう。 しかし秀秋がどのような来歴の人物であったのかはあまり知られていません。 ...
2018.04.19
戦国時代

真田幸村(信繁) はどのような人物だったのか?

真田幸村は大坂の陣で活躍し、「日本一の兵(つわもの)」とまで称された武将です。 戦国時代の最後の戦いを飾った武将として半ば伝説化したため、美化して語られることが多い人物でもあります。 この文章では、そんな幸村がどのような生涯を送...
2018.04.19
織田

明智光秀と羽柴秀吉はどうして織田氏を衰退させたのか?

織田信長を本能寺で殺害し、織田氏の覇権を打ち砕いたのは明智光秀ですが、その後さらに織田氏の力をそいでいったのが羽柴秀吉でした。 明智光秀と羽柴秀吉、このふたりには意外と多くの共通点があるようです。 この文章ではそのあたりに触れ、...
2018.04.19
戦国時代

黒田官兵衛はどうして関が原の戦いにおける長政の活躍を苦々しく思ったのか?

黒田官兵衛は名軍師として知られる戦国時代の武将ですが、「策が多く野心に満ちた人物であった」と見なされることが多い人でもあります。 しかし官兵衛は、生涯で一度も主君を裏切ったことはありません。 初め小寺政職に仕え、ついで羽柴秀吉に...
2018.04.19
戦国時代

武田勝頼は無能か有能か?

武田勝頼は武田氏を滅ぼした無能な武将である。 当人は有能だったが父・信玄の残した負債に押しつぶされてしまった不運な武将である。 そのように勝頼の評価は割れがちになっています。 実際のところ、勝頼はどのような武将だったのでし...
2018.04.19