kenjo@管理人

孟光 権謀・才知を重視して直言をなし、人に嫌われた蜀の学者

孟光もうこうは蜀に仕えた学者です。特に史学に通じ、蜀の宮中のしきたりを制定するのに貢献し、やがて大司農(農務大臣)にまで昇進しました。しかし、人の誤りを厳しい言葉で糾弾していたので、やがて嫌われるようになり、このために以後はさほど出世をしま...

杜微 徳義を備え、諸葛亮に熱心に招聘を受けた蜀の学者

杜微とびは字あざなを国輔こくほといい、梓潼しとう郡、涪ふ県の出身でした。若い頃に、広漢に住む任安じんあんという著名な学者に師事し、学問を修めました。やがて劉璋に召し出されて従事(側近)となりましたが、病のために官を去っています。その後、劉備...

杜瓊 予言をみだりに口にしなかった、慎み深く賢明な蜀の学者

杜瓊とけいは蜀に仕えた学者です。学識に優れ、儀礼や宗廟などを司る地位を歴任し、高く評価されました。一方で未来を予測する術にも通じていましたが、むやみにそれを明らかにせず、我が身を損なうことを避けています。この文章では、そんな杜瓊について書い...

周羣と張裕 劉備に仕え、明暗が分かれた蜀の予言者たち

周羣しゅうぐんと張裕ちょうゆうは、蜀に仕えた予言者たちです。ともに天文を読み取り、未来を予測する術を身につけていました。そして周羣は漢中攻撃の結果を予測して的中させ、劉備に評価されます。一方で張裕はこれを外した後で、漢王朝と劉備の不幸を予言...

許慈と胡潜 険悪な関係を、劉備にたしなめられた学者たち

三国志の時代、蜀には許慈きょじと胡潜こせんという学士たちがいたのですが、すこぶる仲が悪く、口論だけでなく、鞭を振りかざして争い、やがて劉備にも心配をかけるほどの事態を引き起こします。このため、劉備はとある方法で二人の争いをやめさせることにし...

来敏 名門出身で劉禅の側近になるも、何度も免職された蜀の学者

来敏らいびんは蜀に仕えた学者です。後漢の建国に貢献した家柄の生まれでしたが、戦乱を避けるために益州へと移住しました。そして劉禅の側近となり、軍師や将軍に抜擢されるなどしましたが、人格に問題があったために免職となっています。その後も起用と免職...

李譔 蜀の太子・劉璿に仕えた博学多識の学者

李譔りせんは字あざなを欽仲きんちゅうといい、益州の梓潼しとう郡、涪ふ県の出身でした。生年は不明となっています。父の李仁は同県の学者・尹黙いんもくとともに荊州に遊学し、司馬徽しばきや宗忠について古文の学(古典が書かれた時代の文字で読解を行う学...
平氏

平将門 新皇を名のって天慶の乱を起こすも、藤原秀郷に討たれた反逆者

平将門たいらのまさかどは新皇しんのうを名のり、関東で独立しようとした人物です。もともとは朝廷に反抗する意識は持っていませんでしたが、親族との抗争のはずみで国府を襲撃したことがきっかけで、謀反人となってしまいました。これには当時の朝廷の統治能...

尹黙 春秋左氏伝に通じ、軍師や劉禅の補佐役を務めた古文学者

尹黙いんもくは劉備や劉禅に仕えた学者です。『左氏春秋』の研究を行い、漢代ではおろそかにされていた古文の学を修めました。そして劉備に起用され、劉禅の側近となって学問を教授します。また、諸葛亮から軍師に任命されており、北伐にも関わりました。この...

呂凱 永昌郡を守り、蜀に尽くした呂不韋の子孫

呂凱りょがいは蜀に仕え、南方の辺境を守った人物です。雍闓ようがいらが蜀に対して反乱を起こした際に、彼らからの誘いを拒絶し、蜀への節義を貫きました。そして蜀への連絡が絶たれながらも、永昌郡を守り通したことが諸葛亮から称賛され、太守の地位を得て...