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用語集

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」とは

「死せる孔明、生ける仲達ちゅうたつを走らす」とは、三国志の中で語られている言葉です。「孔明」は諸葛亮、「仲達」は司馬懿しばいの字あざなで、両者の間に起きた出来事から、この言葉が生まれました。以下の文章で、その経緯と意味を紹介します。諸葛亮が...

徐庶 劉備に諸葛亮を紹介するも、母を捕らえられ曹操に仕える

徐庶じょしょは諸葛亮の友人で、劉備に彼を引き合わせた人物です。もとは剣を振り回す無法者でしたが、やがて心を入れ替え、学問に励むようになります。そして学友を得て荊けい州に移ると、やがて諸葛亮とも親しくなりました。それから新野に駐屯する劉備の元...

甘夫人(昭烈皇后) 劉備の側室で、劉禅の母となった女性

甘夫人かんふじんは、劉備の側室だった女性です。豫よ州・沛はい国の出身で、劉備が豫州を統治し、小沛しょうはいを拠点としていた頃に側室になりました。これは劉備が徐州や豫州を舞台として、曹操や呂布と抗争をしていた時期にあたります。劉備はこの頃、各...

諸葛亮孔明 漢王朝の復興を目指し、魏に戦いを挑んだ蜀の宰相

諸葛亮しょかつりょうは三顧の礼によって劉備に仕え、蜀の宰相となった人物です。劉備の死後は蜀の全権を委ねられ、漢王朝を復興させるために力を尽くしました。諸葛亮は蜀の内政を整え、軍を整備し、強大な魏の討伐に挑みます。しかし成功を収める前に寿命が...

劉禅 趙雲に救われて蜀の皇帝となるも、やがて滅亡に導く

劉禅りゅうぜんは劉備の後を継ぎ、蜀の二代目の皇帝となった人物です。諸葛亮ら、優れた宰相たちが統治していた時期には、問題なく蜀を保っていました。しかし、やがて政治がわからない宦官かんがんを重用するようになり、国を傾け始めます。そして宮中と蜀軍...

劉備玄徳 関羽や張飛とともに漢の復興を目指した、三国志の英傑

劉備りゅうびは後漢末期の戦乱の中で、強力な兵団を形成し、蜀の皇帝にまでなった人物です。人を引きつける魅力に優れており、関羽や張飛、諸葛亮たちとともに、漢の復興を目指して戦いました。そして帝位の簒奪さんだつをもくろむ曹操と対立し、何度も敗れま...

張嶷 劉禅から崇敬を受け、陳寿に称賛された蜀の名将

張嶷ちょうぎは蜀に仕えた将軍です。勇敢で、かつ計略を立てるのが得意で、各地の反乱の討伐などで活躍しました。そして蜀の統治が及ばなくなっていた越巂えっすい郡の回復に成功し、大きな功績を立てています。その後は病をおして魏との戦いに参加し、敵軍に...

秦宓 隠者に憧れるも、文才によって世に顕れた蜀の学者

秦宓しんみつは蜀に仕えた学者です。弁論と文章に優れており、隠者の生活を好んでいたものの、やがて招聘を受けて仕官しました。そして諸葛亮から側近に抜擢され、呉の使者と当意即妙のやりとりをして、蜀の学者の能力の高さを示しています。この文章では、そ...

許靖 蜀の司徒を務め、人物鑑定に優れた善良な文官

許靖きょせいは蜀に仕えた文官です。人物鑑定を得意としており、朝廷の人事官や、各地の太守を歴任しました。董卓が台頭してからは各地を放浪し、蛮族が多い交州に逃げたことで、辛酸をなめることになります。後に、その名声によって劉備に尊重され、蜀の司徒...

劉巴 劉備にやむなく従うも、高官に昇った清潔な官吏

劉巴りゅうはは、曹操と劉備に仕えた人物です。荊けい州が陥落した際に、士人の多くは劉備に従ったのですが、劉巴は曹操の元を訪れ、その配下となりました。その後は蜀に流れていましたが、劉備に制圧されたので、本意ではなかったものの、蜀の臣下となってい...