織田比叡山の焼き討ちと、明智光秀の出世 織田信長は1571年に、天台宗の総本山である比叡山・延暦寺を焼き討ちし、多くの僧と、そして民衆を殺害しました。 これは延暦寺が、信長と敵対していた浅井・朝倉氏に味方したことが契機になっています。 信長は浅井・朝倉と手を切るように迫ったの...2020.08.29織田明智戦国時代
織田豊臣秀吉 放浪者から関白にまで上りつめた男 その道のりのすべて 豊臣秀吉は織田信長に取り立てられ、小者(雑用係)から身を起こし、最後は天下人にまで上りつめました。 日本の歴史を通じても一代でこれほどの出世を遂げた人物はおらず、その存在は際立っています。 長く続いた戦国時代を終結させ、日本史に大きな足...2018.11.282018.12.28織田戦国時代豊臣
織田桶狭間の戦い 織田信長が5倍の兵力差を覆して今川義元に勝利できたワケ 織田信長は1560年、桶狭間《おけはざま》の戦いで今川義元《よしもと》を討ち取り、一躍天下に名を上げました。 信長の兵力は5千で、義元は2万5千であり、5倍もの差がありました。 この文章では、それにも関わらず、どうして信長が桶狭間で勝利...2018.07.032021.05.30織田戦国時代徳川今川
兵器鉄砲(火縄銃)の伝来と普及 種子島時尭の働きと年号などについて 日本に鉄砲が伝来したのは、1543年のことでした。 当時の日本は戦国時代のまっただなかで、強力な兵器は各地の大名たちが、喉から手が出るほどに欲しているものでした。 それゆえに、鉄砲はまたたくまに日本中に広まっていき、やがては数千挺がひと...2018.05.16兵器織田戦国時代
織田明智秀満(光春) 光秀に忠誠を尽くし、後に天海になったと言われる武将の生涯 明智秀満《ひでみつ》は光秀の娘婿で、その重臣として活躍した武将です。 元は三宅《みやけ》弥平次《やへいじ》という名で、光秀の小姓《こしょう》として仕えていたと言われています。 三宅氏は美濃の豪族で、明智氏の親類でした。 秀満の生年は1...2018.01.182018.04.18織田戦国時代明智
蒲生蒲生氏郷 秀吉が怖れた名将の生涯と逸話 蒲生《がもう》氏郷《うじさと》は若くして織田信長に才能を見いだされ、その娘婿となった武将です。 やがて期待に応えて優れた武将に成長し、数多くの戦場でめざましい功績を立てています。 そして蒲生氏は氏郷の元で4万石から91万石にまで、飛躍的...2018.01.112018.04.18蒲生織田戦国時代豊臣伊達
織田織田信長が本能寺の変で明智光秀に討たれたワケ 本能寺の変は、天下統一を目前にしていた織田信長が、重臣の明智光秀に討たれた事件です。 この事件の原因には様々な説が提唱されていますが、今もはっきりとしていません。 この文章では、晩年の信長の人格と、家臣への態度の変化こそが光秀の謀反を引...2018.01.072018.04.18織田戦国時代明智
織田中川清秀 賤ヶ岳で奮戦した、引くことを知らぬ猛将の生涯 中川清秀《きよひで》は戦国時代に活躍した猛将です。 元は一介の小領主に過ぎませんでしたが、羽柴秀吉と明智光秀の決戦となった「山崎の戦い」などで活躍し、12万石の大名にまで出世しています。 清秀は数多くの戦場で、引くことを知らぬ勇敢な戦い...2018.01.062018.04.18織田戦国時代豊臣
織田前田玄以 信長や秀吉に仕え、京都所司代を務めた名奉行の生涯 前田玄以げんいは織田信長や豊臣秀吉に仕え、京都の奉行として活躍した人物です。 戦乱の時代はとかく武勇に優れた人物が目立ちますが、為政者にとっては、すぐれた行政官もまた必要であることに変わりはありませんでした。 このために玄以は、信長や秀...2017.12.312018.04.18織田戦国時代前田豊臣
森森蘭丸 信長に寵愛を受け、本能寺の変で散った美少年の生涯 森蘭丸らんまるは織田信長に小姓こしょうとして仕え、寵愛を受けたことで知られる人物です。 容姿が美しかったと言われていますが、それだけでなく、蘭丸は才知に秀でており、細やかな気遣いができる性格でした。 そして信長に対する忠誠心が厚く、この...2017.12.282021.05.19森織田戦国時代明智