用語集 「死せる孔明、生ける仲達を走らす」とは 「死せる孔明、生ける仲達ちゅうたつを走らす」とは、三国志の中で語られている言葉です。「孔明」は諸葛亮、「仲達」は司馬懿しばいの字あざなで、両者の間に起きた出来事から、この言葉が生まれました。以下の文章で、その経緯と意味を紹介します。諸葛亮が... 2019.09.08 三国志用語集
用語集 大司農とは 三国志では梁習や司馬芝が就任 大司農だいしのうは中国の官職です。国家財政を担当する大臣で、前漢の時代に設置されました。もとは治粟内史ちぞくないしという職名でしたが、紀元前104年に、武帝が大司農に改称しています。【大司農の名称を定めた武帝】穀物、金属、物産、織物などを広... 2019.03.07 2019.03.08 三国志中国史官職用語集
用語集 臥龍とは 臥龍がりょうとは、「眠れる龍」を意味する言葉です。まだ無名だったころの諸葛亮が、この号で呼ばれていました。【臥龍と呼ばれた諸葛亮】諸葛亮にこの号をつけたのは、龐徳公ほうとくこうという人物です。荊けい州の襄陽じょうよう郡の人で、人物鑑定を得意... 2019.02.27 2019.06.09 三国志中国史用語集
用語集 外戚とは 三国志では何進が該当 外戚がいせきとは、皇帝の母方の親族のことを言います。古代中国では儒教の影響で、子は母親に強く敬意を払うべきだという思想が広まっており、皇帝の母親と、その親族たちが大きな権力を握ることが多くなりました。特に、皇帝が即位した年齢が幼い場合には外... 2019.02.19 三国志中国史用語集
用語集 諡・諡号とは 劉備や曹操の諡号はどのように定められたのか 諡おくりなは皇帝や高官が、死後に贈られる名前のことです。「おくりな」という読みは「贈り名」から来ています。たとえば三国志では、曹操は死後に武帝、劉備は昭烈しょうれつ帝と諡されています。このような称号には、生前の人柄や活動内容が反映されていま... 2019.02.16 2019.06.09 三国志中国史用語集
用語集 列侯とは 列侯れっこうは漢の時代に、皇帝から臣下に与えられた爵位です。漢では「二十等爵にじっとうしゃく」という、二十階級に分類された爵位の階級制度があったのですが、列侯はその最上位です。もともとは徹てつ侯という名前だったのですが、前漢の武帝の名が徹だ... 2019.02.14 2019.02.15 三国志中国史用語集
用語集 関内侯とは 関内候かんだいこうは漢の時代に、皇帝から臣下に与えられていた爵位です。前漢・後漢では二十もの爵位があり、低い等級のものは一般庶民にも与えられていました。この制度を「二十等爵にじっとうしゃく」といいます。これによって皇帝と国民を直接結びつけ、... 2019.02.13 三国志中国史用語集
用語集 「馬氏の五常、白眉最も良し」とは 「馬氏の五常、白眉最も良し」は、三国志の中に登場する言葉です。後漢の末期、荊けい州の襄陽じょうよう郡に馬姓の五人兄弟が住んでいました。兄弟全員がいずれも秀才だったので称賛を受け、郷里ではこれをことわざにして「馬氏の五常、白眉最も良し」と語っ... 2019.02.12 2019.06.09 三国志中国史用語集
用語集 天下三分の計とは 天下三分の計は、三国志において、諸葛亮が劉備に勧めた戦略案です。207年頃、劉備は荊けい州を支配する劉表の客分となり、新野に駐屯していました。劉備はやがて司馬徽しばきや徐庶に勧められ、臥龍がりょう(眠れる龍)と呼ばれる諸葛亮に会いに行きます... 2019.02.11 2021.05.27 三国志中国史用語集
用語集 功曹とは 三国志では龐統が就任 功曹こうそうは中国の官職で、漢代に設置されていました。郡に所属する役人で、人事を担当し、官吏の採用や能力の査定などを行います。現代で言えば、地方自治体の人事局長にあたる存在です。郡の長官である太守は、地元との癒着を防ぐため、現地の出身者は任... 2019.02.09 三国志中国史官職用語集