三国志

三国志

張遼 呂布や曹操に仕え、合肥の戦いで活躍した猛将の生涯

張遼ちょうりょうは呂布や曹操に仕えた将軍です。武勇によって取り立てられ、各地の賊の討伐で活躍しました。合肥がっぴが孫権の率いる十万の大軍に攻められた際には、わずか八百人の兵で果敢に立ち向かい、思う存分にけちらして、孫権軍の士気をくじいていま...
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任峻 曹操に仕え、屯田を実施して食糧の増産と輸送に活躍した人物

任峻じんしゅんは挙兵した曹操に早くから仕え、信任を受けた人物です。曹操の領地が飢饉に瀕した時期に、食糧の増産を担当し、倉庫を穀物で満ちるほどに生産力を高めました。そして戦時には物資の輸送を円滑に行うことで、曹操の覇業を支えています。人情に厚...
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梁習 曹操に仕え、并州を治めた知勇兼備の人物について

梁習りょうしゅうは後漢の末期から三国時代において、并へい州を統治した政治家です。并州は戦乱によって荒れ果てており、国境には異民族が住んでいたことから、治めるのが難しい土地でした。梁習は政策と軍事力を柔軟に用いることで、并州の平和を取り戻し、...
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劉馥 合肥を発展させ、孫権の侵攻を防いだ政治家の生涯

劉馥りゅうふくは曹操に仕え、荒れ果てていた揚州北部の復興に尽力した政治家です。合肥がっぴに拠点を構えて統治を行い、無人の地を堅固な城塞に仕立て上げ、孫権の侵攻を防ぎました。この文章では、そんな劉馥の活動を紹介しています。沛国に生まれる劉馥は...
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龐徳 関羽と戦い、節義を守って名を高めた勇将の生涯

龐徳ほうとくは馬騰とうや馬超、曹操に仕えて活躍した武将です。戦場では常に先陣を務め、果敢に敵を打ち破って名を高めました。荊けい州で関羽と戦った際にも、その武勇によって恐れられますが、大雨によって危機に陥り、捕縛されてしまいました。その際に、...
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許褚 曹操の危機を何度も救った最強の護衛官・虎痴の生涯

許褚きょちょは曹操に仕え、その身を守った武将です。優れた武勇と直感力を備えており、暗殺を防いだり、馬超の襲撃から曹操を逃れさせたりと、何度も命の危機を救っています。そして戦場でも活躍し、曹操に忠実だったので、厚遇を受けて将軍にまで出世しまし...
用語集

外戚とは 三国志では何進が該当

外戚がいせきとは、皇帝の母方の親族のことを言います。古代中国では儒教の影響で、子は母親に強く敬意を払うべきだという思想が広まっており、皇帝の母親と、その親族たちが大きな権力を握ることが多くなりました。特に、皇帝が即位した年齢が幼い場合には外...
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諡・諡号とは 劉備や曹操の諡号はどのように定められたのか

諡おくりなは皇帝や高官が、死後に贈られる名前のことです。「おくりな」という読みは「贈り名」から来ています。たとえば三国志では、曹操は死後に武帝、劉備は昭烈しょうれつ帝と諡されています。このような称号には、生前の人柄や活動内容が反映されていま...
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列侯とは

列侯れっこうは漢の時代に、皇帝から臣下に与えられた爵位です。漢では「二十等爵にじっとうしゃく」という、二十階級に分類された爵位の階級制度があったのですが、列侯はその最上位です。もともとは徹てつ侯という名前だったのですが、前漢の武帝の名が徹だ...
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関内侯とは

関内候かんだいこうは漢の時代に、皇帝から臣下に与えられていた爵位です。前漢・後漢では二十もの爵位があり、低い等級のものは一般庶民にも与えられていました。この制度を「二十等爵にじっとうしゃく」といいます。これによって皇帝と国民を直接結びつけ、...