三国志

廖化 蜀の始まりから終わりまでを見届けた将軍

廖化りょうかは蜀に仕えた将軍です。蜀の建国以前から関羽や劉備に仕えており、彼らの死後は、諸葛亮や姜維の元で戦いました。長く活躍し続け、やがて右車騎将軍となり、蜀軍の重鎮にまで立身しています。70才を超えて現役であり続け、最後には、蜀の終焉ま...

諸葛瞻 父には劣るも、忠節は尽くした諸葛亮の子

諸葛瞻しょかつせんは字あざなを思遠しえんといい、蜀の丞相・諸葛亮の子です。227年に誕生しました。諸葛亮は諸葛瞻が生まれた頃から、魏を打倒するための北伐を実施していました。そして234年には、五丈原に出陣します。この時、諸葛亮は兄の諸葛瑾き...

劉永 劉備の子として魯王になり、蜀の滅亡後も子孫が生き延びる

劉永りゅうえいは字あざなを公寿こうじゅといい、劉備の子です。劉禅の異母弟であり、劉備が蜀の皇帝に即位した際に、魯ろ王になりました。中国の王室では、一族を地方の王に封じ、藩国を作って王室の支えとする慣習がありました。このために劉永は王となった...
用語集

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」とは

「死せる孔明、生ける仲達ちゅうたつを走らす」とは、三国志の中で語られている言葉です。「孔明」は諸葛亮、「仲達」は司馬懿しばいの字あざなで、両者の間に起きた出来事から、この言葉が生まれました。以下の文章で、その経緯と意味を紹介します。諸葛亮が...

徐庶 劉備に諸葛亮を紹介するも、母を捕らえられ曹操に仕える

徐庶じょしょは諸葛亮の友人で、劉備に彼を引き合わせた人物です。もとは剣を振り回す無法者でしたが、やがて心を入れ替え、学問に励むようになります。そして学友を得て荊けい州に移ると、やがて諸葛亮とも親しくなりました。それから新野に駐屯する劉備の元...

甘夫人(昭烈皇后) 劉備の側室で、劉禅の母となった女性

甘夫人かんふじんは、劉備の側室だった女性です。豫よ州・沛はい国の出身で、劉備が豫州を統治し、小沛しょうはいを拠点としていた頃に側室になりました。これは劉備が徐州や豫州を舞台として、曹操や呂布と抗争をしていた時期にあたります。劉備はこの頃、各...

諸葛亮孔明 漢王朝の復興を目指し、魏に戦いを挑んだ蜀の宰相

諸葛亮しょかつりょうは三顧の礼によって劉備に仕え、蜀の宰相となった人物です。劉備の死後は蜀の全権を委ねられ、漢王朝を復興させるために力を尽くしました。諸葛亮は蜀の内政を整え、軍を整備し、強大な魏の討伐に挑みます。しかし成功を収める前に寿命が...

劉禅 趙雲に救われて蜀の皇帝となるも、やがて滅亡に導く

劉禅りゅうぜんは劉備の後を継ぎ、蜀の二代目の皇帝となった人物です。諸葛亮ら、優れた宰相たちが統治していた時期には、問題なく蜀を保っていました。しかし、やがて政治がわからない宦官かんがんを重用するようになり、国を傾け始めます。そして宮中と蜀軍...

劉備玄徳 関羽や張飛とともに漢の復興を目指した、三国志の英傑

劉備りゅうびは後漢末期の戦乱の中で、強力な兵団を形成し、蜀の皇帝にまでなった人物です。人を引きつける魅力に優れており、関羽や張飛、諸葛亮たちとともに、漢の復興を目指して戦いました。そして帝位の簒奪さんだつをもくろむ曹操と対立し、何度も敗れま...

張嶷 劉禅から崇敬を受け、陳寿に称賛された蜀の名将

張嶷ちょうぎは蜀に仕えた将軍です。勇敢で、かつ計略を立てるのが得意で、各地の反乱の討伐などで活躍しました。そして蜀の統治が及ばなくなっていた越巂えっすい郡の回復に成功し、大きな功績を立てています。その後は病をおして魏との戦いに参加し、敵軍に...