鼓舞と出陣
しかしそんな兵士たちの様子を見た兄の信綱は、苦々しい表情で昌幸を批判します。
「これはいったい何のまねだ。陣中で兵士たちに酒を飲ませて酔わせたら、必ず失敗をしでかすものだ。こんなことをするべきではない」と常識的な意見を述べました。
昌幸は「この先に起こることを見ていてください。私の胸の中には、ちゃんと考えがありますので」と答え、兵士たちに集まるようにと告げました。
兵士たちが集合し終わると「みな酒を飲み、寒さを忘れることができたか?」と昌幸が問います。
すると「大将の御情けによって、寒気をしのげ、手足がすっかりと温まっています」と兵士たちは笑いながら答えました。その様子から、気分が高揚していることがうかがえます。
これならばよかろう、と昌幸は判断し、北条軍が陣取っている方向を指さしました。
「あちらを見るがよい。薩埵峠と倉沢山の峠に備える敵兵たちは、今ごろ寒さに震えているであろう。弓を引こうにも、鉄砲を撃とうにも、手がかじかんでしまって果たせないに違いない。平地にいるお前たちですら、酒を飲むことでようやく体が温まったほどなのだからな。さあ、この勢いをもって敵を一叩きしようではないか! 今なら必ず勝てる!」と昌幸は、勇ましく兵士たちを鼓舞しました。
すると兵士たちは「それこそが我らの望むところです。酒を与えてもらった代わりに功名を立て、敵の首を肴にし、祝いの宴を開きましょうぞ!」と応じ、地に足を踏み鳴らし、戦意が高まっていることを表しました。
昌幸はこれを受け「ならば出陣だ!」と大声を発し、真っ先に馬に乗って駆け出します。
兵士たちは「遅れるな!」「負けぬぞ!」と口々に叫びながら駆け出し、酒の勢いで、両軍を隔てる川もあっという間に渡ってしまい、薩埵峠へと押し登っていきました。
ちょうどその時、空からあられが降り始め、寒さがますますつのっていきます。
しかしながら、酒の力で盛り上がっている真田軍はまったくひるむことなく、わめき、叫びながら北条軍の陣地に押し寄せました。
この時に北条軍は、あまりの寒さに耐えかねて、旗指物だけを残して陣地から離れ、峠を下りて周辺の民家に避難していました。
それと気づいた昌幸は、「北条の者どもはそこらの小屋に潜んでいるぞ! 火をかけて追い出し、やつらの鎧や武具をぶんどってしまえ! 奪った物は、お前たちの物してかまわぬ! さあ、敵をけちらして、名を高めるはこの時ぞ!」と檄を飛ばします。
すると兵士たちは勇躍し、北条軍が接収していた民家に火を付けて回り、敵兵が慌てて出て来たところに槍を突きかけ、あるいは斬りかかり、次々と討ち取って行きました。
北条軍はこの攻勢に肝を潰し、生き残った兵士たちは我先にと逃げ散り、武田軍は重要な地点を奪還することができたのでした。
優れた武将の条件
この話に見られるように、昌幸は「陣中では酒を飲んではならない」という常識にとらわれず、寒い日であれば、体を温めるために飲ませるのが有効だと判断したのでした。
そして酒や味噌汁をふるまって寒さをしのがせる配慮を見せたことで、兵士たちが昌幸に感謝し、士気が高まるという効果をも生み出したのです。
この時の兵士たちは昌幸の部下ではなかったのですが、ほんのわずかな時間で心をつかみ、意のままに働かせたわけで、昌幸の武将としての器量が、相当に優れていたことがわかります。
優れた武将とは、個人としての武勇に優れている者ではなく、兵士の集団をひとつに束ね、士気を高め、その力を十二分に発揮させることができる者を指します。
昌幸はその上、敵の意表を突く作戦を考案できる才能を備えていましたので、戦いに強かったのは当然のことだと言えるでしょう。
後に武田氏が滅んでしまい、独立した昌幸は少数の部隊で徳川家康や北条氏の大軍と渡り合いつつ、その勢力を維持・拡大していくことになります。
【独立した大名となった真田昌幸の肖像画】
その優れた手腕は昌幸の教育によって、息子の信幸や信繁(幸村)たちにも引き継がれており、彼らもまた、それぞれに少数の部隊で大軍を討ち破る武功を立てました。
戦国の末期において、真田軍の精強さが天下に鳴り響いたのは、このような、昌幸が築いた基盤があってのことだったのでした。
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