夢の解釈
信長はこの年の5月に、鼠が馬の腹を食べて破ってしまう、という夢を見て、蘭丸にその吉凶をたずねました。
蘭丸は「吉夢でございましょう」と答えますが、密かに他の者に、次のように語りました。
「殿が見た夢は、ゆゆしき問題を現している。殿は午年の生まれで、明智は子年の生まれだから、この夢は、明智のために殿が腹を召される凶兆だ。夢を見たのが10日も前であれば、私が光秀を斬ってしまったのだが。彼は西国に下るために丹波に向かってしまった。力及ばず悔しいことだ」と言って涙を流しました。
これを聞いた人々は「蘭丸は心配性だな」と笑いましたが、本能寺の変が起きてからは「蘭丸の言うとおりだった」と評価を改めた、ということです。
ちなみに「西国に下る」とは、信長の命令によって、中国地方で毛利氏と戦っていた羽柴秀吉に援軍を送るためでした。
信長自身も中国地方に向かうことになっており、このために安土城を出て、護衛兵すら連れず、油断しきった状態で京の本能寺に宿泊しています。
本能寺の変
そして1582年の6月2日、信長は蘭丸が予測したとおり、本能寺で光秀が率いる1万数千の軍勢に包囲され、絶体絶命の窮地に追い込まれました。
信長の周りには100名程度の供しかいませんでしたが、その中にはもちろん、蘭丸も含まれています。
信長は自ら槍を取り、襲撃をかけてきた明智軍と戦いましたが、数の差が大きすぎ、防ぎきれませんでした。
明智軍は武装をしっかりと整えていたのに対し、信長の側は鎧や兜を持っていませんでしたので、初めから勝負にならなかったのです。
信長はやがて負傷して室内に引き下がり、そこで切腹をしました。
ここにおいて、夢が予知夢として的中したことになります。
蘭丸は信長を守るために最後まで戦いましたが、明智軍の安田国継に討たれてしまいました。
【本能寺の変を描いた図屏風 蘭丸は鎧を着けておらず、敵は着けている】
信長が蘭丸の言葉に耳を貸していれば、光秀の謀反を防げていたかもしれないだけに、蘭丸には無念なことだったでしょう。
こうして主従は天下統一を目前にして、ともに本能寺で散っています。
信長の秘蔵の宝
信長は生前、三つの宝を持っていると人に自慢していました。
一つは奥州から献上された白譜の鷹で、これを鷹狩りに用いた信長は「希代の逸物である」と評しています。
二つは青の馬で「どのような砂浜や荒野で乗ろうとも、つまづくことがなく、龍馬とも呼ぶべき馬だ」と述べています。
そして三つ目が蘭丸で「その忠義と功績は世の知るところだ」と言い、「この三つが我が秘蔵の宝である」と語っていました。
数多くの優れた家臣を抱える信長に、そこまで言わしめたことから、蘭丸への評価の高さがうかがえます。
これまでにみてきた逸話から、蘭丸は鋭敏な神経と、信長への厚い忠誠心を備えていたことがわかりますが、それゆえに、信長にとっては側仕えをさせる上で、非常に気分のよい若者だったのでしょう。
蘭丸の生涯はわずか18年でしたが、美少年で、若くして信長に重用され、そして最期をともにするという劇的な要素を多分に備えていたため、その存在は後世にも、広く知られることになりました。
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