伊達政宗 戦国の終わりを生きた、奥羽の「独眼竜」

父を自らの手で殺害する

しかし畠山義継はこの措置に不満だったようで、恩を受けた輝宗を裏切り、その身を拉致して領地に引き上げようとします。

急報を受けた政宗は畠山義継の一行を追跡し、父もろとも鉄砲を使って殺害してしまいました。

政宗の苛烈な措置が、そのような歪みとなって伊達家に跳ね返ってきたことになります。

これを受けても政宗が引き下がることはなく、陸奥と会津、そして常陸(茨城県)を巻き込んだ大きな闘争へと発展していきます。

人取橋の戦いに敗れる

父の初七日が終わると、政宗はただちに畠山義継が治めていた二本松城に攻撃を開始します。

しかしここで常陸の大名・佐竹氏が中心となって編成された、3万もの大軍が立ちふさがります。

政宗はこの膨大な人数を誇る反・伊達連合軍と戦うことになってしまいました。

そして「人取橋の戦い」で、数に劣る伊達軍は撃破されてしまいます。

父を失ったために若年の政宗ひとりでは外交関係が保てなかったこと、大内氏の城の人間を皆殺しにしたことで、諸大名の大きな反発を買ってしまったことがこの敗北の原因でした。

政宗自身が負傷するほどの大きな敗戦でしたが、老臣の鬼庭綱元が殿を務めて奮戦し、また、寄せ集めであった連合軍の内部で亀裂が発生したために、かろうじてこの危機を脱することができました。

豊臣秀吉からの命令が届く

この頃になると、すでに中央では織田信長の後を継いだ豊臣秀吉が関白の地位についており、伊達氏に対して「惣無事令」という命令を送ってきました。

これは領地拡大を目的とした私的な闘争を禁じる、という内容の命令でしたが、政宗はこれを無視しして戦いを続けます。

伊達氏の悲願である奥羽全域の支配、そしてその先にある天下にすら、政宗は思いを馳せていたのかもしれません。

このようにしてめまぐるしく1585年が終わり、その3年後に政宗は再び軍事行動を起こします。

今度は伊達領の北方に領地を持つ大崎氏に内紛が発生し、それに介入することで領地の拡大を図りますが、大崎氏の頑強な抵抗を受けてうまくいきませんでした。

そのうえ出羽の領主・最上義光がこの争いに参戦してきます。

最上氏の軍勢に各地を攻め落とされて政宗は危機に陥りますが、この時は最上氏の出身である母の義姫が間に立って交渉し、和睦することに成功しました。

続いて伊達領の南部から蘆名・相馬といった大名が侵攻して来ましたが、この撃退にも成功します。

この頃の政宗はたびたび領地の拡大を図るもののいずれも成功せず、苦戦が続いていました。

会津への侵攻

危機を脱した翌年の1589年には、政宗は会津への侵攻を始めます。

今度は南方に向かって遠征を行ったことになります。

この頃には会津を支配する蘆名氏が内紛によって弱体化しており、政宗はその機をついて一気に会津を陥れようという計画を立てていました。

蘆名氏はこの数年前、当主が幼少のうちに死亡してしまったために養子をとって存続することになりました。

しかし候補が二人いたため、どちらを当主にするかで内紛が起こり、家中の対立が深刻になっていました。

さらに蘆名氏の領地の北方の要衝である猪苗代城でも、領主親子の間に諍いが発生しており、蘆名氏の勢力はひどく不安定な状態になっていたのです。

政宗は調略によって猪苗代城を自軍の勢力に取り込み、巧みな戦術を用いて蘆名氏をその本城である黒川城に追い詰めます。

この時の伊達氏は総力をあげて2万3000人を集め、蘆名氏は1万8000人の軍を集めていました。

伊達氏の方がやや優勢、といった情勢です。

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