司空は中国の官職です。
古くは周(前1046年-前256年)の時代に設置され、6名の行政長官で構成される六卿のひとつでした。
この頃には「大司空」と呼ばれ、国家の土木工事を担当しています。
現代で言えば、国土交通大臣に相当すると思われます。
治水や築城などの公共・軍事的な工事と、囚人の管理も行っていました。
これは古代では、国家の工事に囚人を動員することが多かったためです。
このために司空が、一見関係のなさそうな囚人の管理も行っていたのです。
司空の名称と立場の変遷
前漢(前206年-8年)の前期あたりまでは、地方にも司空が設置されており、「都司空」「国司空」「県司空」などが存在していました。
「大」がついていたのは、これらの地方官と区別するためだったのでしょう。
前漢の後期に、工事と囚人の担当官が分離されるようになると、司空の名称は使われなくなっていきます。
後漢(25年-220年)の時代になると、大臣としての司空のみが残り、工事だけを担当します。
そして建武27年(51年)に、大司空は「司空」に改称されました。
他の司空が消滅し、名称を独占するようになったので、大が不要となったのでしょう。
この時代においては、中央政府の最高官である三公のひとつに位置づけられています。
他の三公は司徒と太尉で、司徒は農政や財務、教育を、太尉は国防を司りました。
三国志で就任した人物
三国志の登場人物で、司空になったのは董卓や曹操がいます。
いずれも朝廷の権力を掌握しましたが、その過程において三公の地位を得て、身分を高めたのでした。
【司空に就任した董卓 権力をほしいままにしたが、暴君だったので暗殺された】
廃止と復活
曹操は208年になると、三公制度を廃止し、自ら丞相(首相)に就任しました。
これは権力を、自分と側近たちに集中させるための措置だったと思われます。
その後、曹丕が魏を建国すると、三公制度は復活しました。
しかしこの時代には、尚書という皇帝直属の機関に権力が集中するようになっており、三公は功労者が就任する名誉職に変貌していきます。
魏においては王郎や陳羣、諸葛誕などが司空になりました。
その後は清(1644年-1912年)の時代まで設置され続けており、おおよそ三千年におよぶ、息の長い官職名だったのだと言えます。