別部司馬とは 三国志では孫堅、劉備、関羽、張飛らが就任

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別部べつぶ司馬しばは後漢の時代に設置されていた、武官の地位です。

この言葉は「別部」と「司馬」に分けられますので、まずはそれぞれの意味を解説します。

別部とは

「別部」は「別営に所属している、独立性を持った部隊」という意味です。

「部」は「部隊」を意味し、一人の将軍には五つの部が所属することになっていました。

別部はその将軍直属の部隊とは別の部隊、という立場でした。

ひとつの部を構成する兵員は、数百〜二千人程度だったと言われています。

ですので現代的に言えば、部は中隊や大隊にあたる戦術単位でした。

つまり「別部」は「独立大隊」や「別働隊」なのだと解釈できます。

司馬とは

そして「司馬」は「将軍に所属する、軍の指揮官」を意味します。

(ややこしいですが、軍の監察官もまた司馬と呼ばれます。区別するために、指揮官は軍司馬とも呼ばれます。)

なので別部司馬は、「将軍の傘下にありながらも、独立性を持った部隊の指揮官」という意味になります。

常に将軍の側にはおらず、独自に任務を受け、別働隊として動くことが多かった立場だったのだと言えます。

それだけに、指揮能力の高い人材がこの地位に任命され、各地の戦場で活躍しています。

別部司馬になった主な人物

代表的なところでは、駆け出しのころの孫堅や劉備がこの地位にありました。


【別部司馬として黄巾討伐に活躍した孫堅 その後は将軍に出世していった】

他には関羽や張飛、夏侯淵や曹仁、黄蓋や呂蒙といった、各勢力を代表する武将たちも、みなこの地位を皮切りに出世をしていきました。

別部司馬として戦場で活躍するには、自分で戦況を判断して行動する能力が求められます。

ですので別部司馬に任命されるのは、将軍から見込まれた指揮官だけだったのでした。

若く有能な軍人にとっての、登竜門的な地位だったのだと言えます。