バテレン追放令 豊臣秀吉が宣教師の追放を命じたワケ

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本格的に弾圧されたのは江戸時代

その後、秀吉の死によって、豊臣氏から徳川氏へ政権が移行すると、だんだんと禁教令が厳しく実施されるようになっていきました。

一説には、大坂の陣において、キリスト教徒たちが豊臣秀頼に味方したことに端を発し、取り締まりが厳しくなったのだと言われています。

実際のところ、1613年、大坂の陣がはじまる直前の頃から、キリスト教徒たちが捕縛され、処刑される事件が増加しています。

また、1614年にはキリスト教徒の国外追放令が出され、高山右近らがフィリピンのマニラに退去することになりました。

右近は大名の身分を捨てて信仰を守った点が高く評価され、マニラで熱狂的な歓迎を受けますが、それから40日後に病死しました。

以後は暫時、キリスト教への圧迫が強まって行き、一般の信徒に対しても、拷問による棄教が強制されるようになります。

そして1637年になると、「島原の乱」が発生します。

これは3万8千人の農民や浪人たちが、キリスト教を媒介として結束し、領主に対して大規模な反乱を起こした事件でした。

この事件の鎮圧後、キリスト教は邪宗だとされ、さらに取り締まりが徹底され、一部の隠れキリシタンを除いて、日本ではキリスト教の信仰がほぼ消滅することになります。

そのあたりまで触れていくと、秀吉とキリスト教の関わりについて書く本項のテーマから遠ざかり過ぎますので、いずれ島原の乱について書くときに、改めて述べてみようと思います。

参考資料

伴天連追放令に関する一考察 : ルイス・フロイス文書を中心に

大村純忠と耶蘇教 近世日本国民史 織田氏時代中篇

バテレン追放令『天正十五年六月十八日付覚』原文 wikipedia