張燕 盗賊から将軍に成り上がった、黒山族の頭領

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朝廷に降伏し、官位を得る

こうして張燕の勢力が強まると、河北かほくの地はさらに荒らされ続けました。

張燕の他にも、数千から二、三万程度の人数を集めた勢力がいくつも発生し、手がつけられない状態となります。

後漢の朝廷は彼らを討伐しようとしますが、数が多すぎて、なかなかうまくいきませんでした。

このため、霊帝は楊風という男に黒山校尉こういという官位を授け、盗賊たちを取り締まらせます。

その一方で、楊風に主だった賊の頭領たちを、朝廷に推挙する権限も与え、官吏として取りこむことで、なんとか事態を収拾しようとしました。

この流れの中で、張燕は朝廷に降伏を申し入れましたが、その結果、平難中郎将ちゅうろうしょうという官位を授与されます。

中郎将は上級指揮官の地位ですので、張燕は盗賊団の頭目から、おおいに身分を高めたことになりした。

まことに、乱世の風景だと言えます。

群雄の一角となる

やがて霊帝が崩御すると、董卓とうたくが朝廷の実権を掌握します。

そして皇帝を取り替え、各地で略奪を働くなどの暴挙に及びました。

さながら、盗賊が国家の中枢を支配したようなありさまで、後漢の権威は地に落ちます。

これに反発する者たちが義兵を挙げると、張燕もその勢力を保ちつつ、抜け目なく諸侯たちと、友好的な関係を取り結びました。

このあたりの動きから見ても、張燕の才覚は、ただの盗賊の頭領で終わるものではなかったことがわかります。

袁紹と対立する

やがて董卓が長安に遷都し、洛陽から去ると、東部に取り残された諸侯たちは、互いに勢力争いをするようになりました。

そして北方では、袁紹と公孫瓚こうそんさんが争うようになります。

張燕はこの状況を見て、公孫瓚と結んで袁紹と戦い、勢力の拡大をはかることにしました。

公孫瓚が袁紹の東に、張燕が袁紹の西に勢力を持っており、挟み撃ちをする形になりますので、妥当な判断だったと言えるでしょう。

張燕はこの時、一万の歩兵と数千の騎兵を率いて戦いましたが、その部隊は精鋭だとして恐れられ、袁紹を苦戦させました。

元々は盗賊団でしたが、長年にわたって戦い続けるうちに、その戦力が強化されていたのでしょう。

呂布に打ち破られる

しかしやがて、董卓を殺害し、長安を追われた呂布が、袁紹の陣営に加わります。

呂布は自ら先頭に立ち、名馬の赤兎せきとに乗り、側近の騎兵たちとともに、張燕の部隊に攻めかかってきます。

すると呂布にはまったく歯が立たず、張燕軍は打ち破られてしまいました。

この時の呂布の活躍ぶりが「人中じんちゅうの呂布、馬中ばちゅうの赤兎」という言葉を生むことになります。

(人間の中には呂布という傑出した勇者がおり、馬の中には赤兎という名馬がいる、という意味)

こうして張燕は袁紹と呂布に押され気味になると、ひとまず後退して、再起の時をうかがいます。

これまで張燕は順調に勢力を拡大していましたが、呂布という最強の武将と戦ったことで、その勢いが挫かれたのでした。

このあたりが、張燕の限界だったのだと言えます。

曹操に帰順する

こうして敗北した張燕の元からは、少しずつ兵が離散するようになり、勢力に衰えが見え始めます。

それでも何とか持ちこたえているうちに、やがて官渡かんとの戦いに勝利した曹操が、州に進出し、袁氏の勢力を駆逐し始めました。

すると張燕はそれを好機と捉え、曹操に帰順を申し入れます。

曹操はこれを受け入れ、張燕を平北将軍に任命しました。

こうして張燕は時勢の変化を的確に読み取り、生き延びることに成功します。

やがて張燕は曹操が拠点を構えたぎょうに、軍勢を引きつれて出頭しましたが、そこで安国亭候という爵位と、五百戸を食邑として与えられました。

この結果、張燕は元は盗賊でありながら、将軍、そして貴族にまで成り上がり、その生涯をまっとうすることができたのでした。

張燕は乱世において時流に乗り、ひとかどの成功をなし遂げた人物だと言えるでしょう。

張燕評

三国志の著者・陳寿は張燕について「張燕は盗賊の生活を捨てて功臣の中に名を連ねることとなり、危険と滅亡と隣あわせの生き方を逃れて、祖先の祭りを保った。あえなく滅亡した者たちと比べ、優れている」と評しています。

張燕の死後は子の張ほう、孫の張ゆうに爵位が引き継がれており、張燕の家系は栄えました。

しかしひ孫の張りんは、晋の時代に起きた、趙王の反乱に参加します。

張林は趙王・司馬倫しばりんとともに反乱を起こし、一年もしないうちに、尚書令しょうしょれい・衛将軍にまで昇進します。

しかしやがて張林は司馬倫と仲違いをし、殺害されてしまいました。

こうして張燕の家系の繁栄は終わりを告げましたが、ひ孫の代になって、張燕に宿っていた反逆者の血が、蘇ってしまったのかもしれません。