趙雲子龍 劉備に仕えて長坂で活躍し、劉禅を二度救った勇将の生涯

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趙雲は劉備に仕えて活躍した武将です。

個人としての武勇に秀でており、長坂の戦いでは乱戦の中で劉備の妻子を救出したことで知られています。

関羽や張飛の死後に蜀軍の重鎮となり、高位に就任しました。

そして諸葛亮の北伐にまで参加した後、死去しています。

この文章では、そんな趙雲の生涯を書いてみます。

初めは公孫瓚に仕える

趙雲は字を子龍といい、常山郡真定県の出身です。

生年は不明となっています。

趙雲は身長が高く、姿や顔つきが大変に立派だったと言われています。

やがて郷里で推挙を受け、義勇兵を率いる立場につきます。

そして北方に勢力を持つ公孫瓚に味方しました。

公孫瓚はこの時、北方の覇権をかけて袁紹と争っていました。

劉備と出会う

この頃には、劉備もまた公孫瓚に身をよせており、両者は知り合います。

劉備は趙雲を気に入って親しくつきあうようになり、趙雲も劉備を好ましく思いました。

やがて劉備は公孫瓚の重臣・田楷でんかいを支援するために出陣しましたが、その時に趙雲が随行します。

そして劉備の主騎(親衛隊)となって、ともに戦うようになりました。

いったん別れるも、再度仕える

趙雲が兄の喪のために公孫瓚の元を辞し、帰郷することになると、劉備は趙雲の手を握って別れを惜しみます。

すると趙雲は「絶対にあなたの恩徳を裏切りません」と言って、必ず復帰すると誓いました。

しばらくして劉備が袁紹に従うようになると、趙雲は劉備のところに帰ってきました。

こうして趙雲は義に厚い人柄であることを示しました。

荊州の動き

その後、劉備は荊州に移り、支配者である劉表の客分となりました。

そして新野に駐屯して曹操への備えを務めていましたが、208年になると劉表が死去してしまいます。

すると曹操が大軍を率いて荊州に攻めこみました。

劉表の後継者となった劉琮は、はやばやと曹操への降伏を決断します。

このために劉備は荊州の南部に撤退しようとしますが、やがて10万もの民が劉備について行きたいと願い出ました。

劉備は民を見捨てて逃亡するに忍びなく、彼らの足に合わせ、一緒にゆっくりと南下することにします。

劉備は手もとに張飛と趙雲、そして三千の兵を残し、行軍を開始しました。

長坂の戦い

これを知った曹操は、五千の騎兵を率いて急行軍し、劉備を追撃します。

そして長坂で劉備は追いつかれ、曹操の激しい攻撃を受けました。

劉備軍はこれを支えきれずに壊乱し、劉備の妻子も戦場に取り残されてしまいます。

この時に趙雲は、敵をけちらして甘夫人を救出しました。

そして幼子を身に抱き、脱出に成功しています。

この子供が劉禅で、後に蜀の二代皇帝になりました。

この挿話は三国志の中でも特に有名で、京劇でも人気の演目となっています。

趙雲はこの功績によって、牙門将軍がもんしょうぐん(大将軍を補佐する地位)に任命されました。

桂陽太守となる

その後、劉備は呉の孫権と同盟を結び、赤壁の戦いで曹操を撃退します。

すると空白地となった荊州の南部を抑え、拠点を確保しました。

この時に趙雲は攻略に活躍し、偏将軍に任じられ、桂陽けいよう太守を兼務します。

趙範の誘いを断る

趙雲の前の桂陽太守は趙範でしたが、彼は趙雲に接近することで、自分の立場を守ろうとしました。

趙範の兄嫁ははん氏といい、未亡人で、非常な美人でした。

このために趙範は樊氏を趙雲に縁づけようとしましたが、趙雲は「同性であるがゆえに、あなたの兄なら私の兄と同じです。だから結婚することはできません」と理由をつけて断ります。

他にも趙雲に結婚を勧める者がいましたが、「趙範は追いつめられて降伏したにすぎない。だからその心底ははかりかねる」と言って固辞しています。

すると趙雲が予想した通り、やがて趙範は逃亡してしまいました。

趙雲の慎重かつ、思慮深い性格がうかがい知れる話です。

劉備の奥向きのことを取り締まる

劉備はやがて劉璋に招かれ、益州に赴くのですが、その際に趙雲を留営司馬に任命し、奥向きのことを取り締まらせることにしました。

どうして将軍の趙雲にそんなことをさせたかというと、当時の劉備は孫権の妹の、孫夫人と結婚していたためです。

孫夫人は兄の威光を鼻にかけ、呉の兵士を連れて好き放題をし、法規を守りませんでした。

趙雲は厳格な性格だったので、劉備は趙雲ならこの状況を引きしめることができるだろうと考えたのです。

劉禅を取り戻す

一方、孫権は劉備が益州に向かったと知ると、妹を迎えるために船団を送りました。

すると孫夫人は、劉禅を連れて呉に戻ろうとします。

劉備の子を呉に連れて行かれると、人質にされてしまいますので、趙雲は張飛とともに兵を動かし、長江をふさいで劉禅を取り戻しました。

こうして趙雲は、二度に渡って劉禅を救ったことになります。

【次のページに続く▼】