騎都尉は中国の官職名で、軍事を司る地位です。
皇帝側近の武官である光禄勲に所属し、比二千石という高い俸禄を与えられています。
皇帝直属の騎兵である羽林を指揮する役目で、近衛騎兵団の隊長とも呼ぶべき立場でした。
このために所属は宮廷で、地方に駐屯することはありません。
有事が発生した際に都から出撃し、任務を達成したら軍を戻すことになっていました。
前漢の時代には、数千人程度の兵を指揮したようです。
中島敦の小説で知られる李陵は、騎都尉に就任して五千の兵を率い、匈奴と戦ったとされています。
三国志では
三国志においては、曹操が黄巾の乱が勃発した際に、騎都尉に就任して討伐にあたっています。
このことから、曹操は騎兵の指揮に長けていたことがわかります。
【騎都尉として活躍した曹操 黄巾討伐の功績によって、済南国の大臣に昇進した】
董卓が台頭して各地で群雄が割拠するようになると、それぞれが独自に任命したため、騎都尉はただの「騎兵の指揮官」という位置づけになっています。
有名なところでは、呂布に仕えていた時代に、張遼が騎都尉に任命されています。
また、夏侯淵は曹操の挙兵に参加し、別部司馬・騎都尉に任命されました。
後漢の滅亡後は、魏・蜀・呉の三国がそれぞれに設置しました。
晋の時代になると有名無実化し、皇帝の一族に与えられる、実権のない地位になっています。