姜維の排除を画策する
やがて黄皓は右大将軍の閻宇と結託し、大将軍の姜維を廃し、閻宇をその地位につけようと画策します。
このため、姜維は黄皓を排除するよう劉禅に直訴しますが、劉禅はことの重大さを理解しておらず、これを取り上げませんでした。
「黄皓はただの使用人なのだから、君が気にとめるほどの存在ではない」というのが、劉禅の答えでした。
そして劉禅は、黄皓に命じて姜維に謝罪に行かせるのですが、姜維は黄皓を排除しようとして失敗した以上、遠からず宮中から害を加えられることになるだろうと予測します。
なので、前線で屯田を行い、軍勢がとどまれるようにしたいと申し出て、成都には戻ってこなくなりました。
こうして蜀の宮中と軍の間に、深刻な亀裂が走る事態となります。
劉永が遠ざけられる
劉禅には劉永という弟がいましたが、彼もまた黄皓を嫌い、排除すべきだと考えていました。
それを知った黄皓は、劉禅に劉永の悪口を吹き込み、遠ざけるようにと働きかけます。
この結果、劉永は十数年にも渡って、朝廷で劉禅に謁見できない状態が続くようになりました。
こうして黄皓の存在によって、蜀は宮中と軍、そして皇族の間にも亀裂が走り、まとまりがなくなっていきます。
蜀は敵対する魏と比べ、はるかに小さな国であり、団結していなければ、とても対抗できるものではありません。
にも関わらず、自分が権力を握りたいがために、各所の関係を乱していく黄皓は、蜀の内部に巣くった毒虫のごとき存在でした。
魏が侵攻の準備を開始する
黄皓と敵対した姜維は、ずっと前線に留まるようになりましたが、これによって、魏は蜀の内部が乱れていることを察知します。
姜維は蜀を主導する立場にありましたが、その彼が都に戻らず、前線に居続けているのは、宮中で変事があったからなのだろうと、予測されてしまったのでした。
蜀には姜維以外に、特に優れた人物はいませんでしたので、その彼が中央から信頼されていないのであれば、蜀を攻略するのは可能だと、魏は判断します。
そして鐘会・鄧艾・諸葛緒の三人の将軍に、三十万という大軍を預け、蜀への侵攻を命じました。
姜維が知らせるも、黄皓が握り潰す
姜維は魏軍に大きな動きがあることを察知し、これを劉禅に急報します。
しかし劉禅が、黄皓にこの知らせがあったことを告げると、黄皓は占い師に相談しました。
すると占い師が、問題は起こらないと答えたので、黄皓はこれをそのまま信じ込み、劉禅にも、魏の攻撃に備えなくても、絶対に安全です、などと返答をします。
その上、姜維から知らせがあったことを群臣たちに伝えなかったので、成都にいた者たちは魏の侵攻を事前に知り、対策を取ることができなかったのでした。
黄皓を用いることに、どうして劉永が反対していたのかが、この事態によって明らかになっています。
黄皓は主に取り入るのがうまいだけの男で、国政を担うに足る見識も実力も、備えていなかったのでした。
鄧艾に成都に迫られる
こうして蜀は対応が遅れ、魏の侵攻に対し、後手に回ることになりました。
姜維は援軍を得られぬ中で、鄧艾に敗れて後退し、剣閣に立てこもって魏の侵攻を防ぎます。
そして鐘会の率いる軍勢を足止めし、つけいる隙を与えませんでした。
しかし一方で、鄧艾は別の部隊を率い、剣閣を迂回して、普通ならば通れないような悪路を突破し、成都に迫ります。
これを諸葛瞻が迎え討ちますが、緜竹で大敗を喫し、戦死してしまいました。
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