明智秀満(光春) 光秀に忠誠を尽くし、後に天海になったと言われる武将の生涯

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坂本城の宝物を譲り渡す

やがて坂本城は、堀秀政の軍勢に包囲されました。

秀満は城に火を放って自害する覚悟を固めていましたが、光秀が収集した天下の名物が、城とともに失われるのは無益だとして、乙御前おとごぜの釜といった茶器や、不動国行ふどうくにゆき、二字国俊くにとしの太刀といった名刀を、肩衣に包んでまとめました。

そして城外の秀政に向かい、「これらは天下の名物であるから、落城とともに失われるのは惜しい。あなた方に引き渡そう」と申し出ます。

秀政は奇特な心がけだと感心し、これを受け入れて引き取りました。

しかしこの中には、光秀が所有していたことで知られる「吉広江よしひろえの脇差」が含まれていなかったので、秀政は不審に思い、秀満にそのことをたずねました。

すると秀満は「貴殿もご存知の通り、吉広江の脇差は光秀がとても大切にしていた、秘蔵の品です。ゆえに、我が腰にさして自害し、死後に光秀に引き渡したいと思っています」と伝えると、秀政は秀満の意向を受け入れ、引き下がりました。

そして翌6月15日になると、秀満は光秀の妻子たちを介錯した後、自ら城に火を放ち、潔く自害しました。

享年は47だったと言われています。

秀吉の感慨

秀吉は後に「秀満が坂本城に入った以上、ひと合戦あるだろうと思っていた。秀満は勇将だから、最後の戦はさぞ華々しいものになるだろうと想定していた。しかし、矢を一本も放たず、潔く宝物を引き渡して自害するとは、さすがに希なる侍であった」と言い、しばし感慨に耽りました。

そして「かつて松永久秀ひさひでは滅亡する際に、秘蔵していた平蜘蛛という天下の名物を打ち砕いてしまったが、それと秀満の行いとは、天と地ほどの違いがある。その心の中の涼やかさ、あっぱれ惜しき侍だ」と秀満を称賛しています。

「光秀の謀反は憎むべきだ。しかし秀満たちが、光秀の恩に報いようとして謀反に加担し、ともに滅びたのは、主君に対して優しい心を持っていたからだと言うべきだろう。もしも光秀のように家臣をいたわり、養う気持ちを信長公が持っていれば、光秀が謀反を起こし、彼らが死ぬことはなかったろうに。まったく惜しいことだ」と述べ、秀満たちに同情を寄せています。

天海になったという伝説

こうして光秀と秀満はともに亡くなりましたが、実は二人は生き延びていて、後に徳川家康の政治顧問・天海てんかいになって活躍した、という伝説があります。

天海

【天海の肖像画】

秀満は三宅氏の出身でしたが、その家紋と天海の家紋が同じだったことや、天海が明智氏の桔梗ききょう紋を日光東照宮に飾らせたことから、この話がささやかれるようになりました。

光秀と秀満が2代で天海という役割を演じ、家康が天下を取れるように画策し、ついに秀吉が築いた豊臣政権を滅ぼした、というのがこの語の伝えるところです。

秀満は密かに坂本城を脱出し、近くの寺に入って僧衣に着替えた、という話もあり、その時に置いていったとされる鞍が、現代にも残されています。

この話の真偽は確かめようもありませんが、秀満の人柄からして、光秀の妻子を介錯しておきながら、自分だけが逃げるような卑怯なふるまいをしたというのは、ちょっと考えにくいと思われます。

一方で、秀満の子どもが生き延びたのは確かなようです。

この子どもは後に三宅重利しげとしと名のって細川氏や寺沢氏に仕え、武家として存続しています。

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